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永代橋&豊海橋

■永代橋






永代橋が架けられたのは、元禄時代だそうである。
赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったあと、幕府直轄の両国橋を渡ることができず、南に迂回して永代橋を渡ったという故事も有名。

関東大震災で被災し、清洲橋とともに復興のシンボルとなった。
現存最古のタイドアーチ橋(支点間を引張材でつなぎ、支点に発生する水平反力を負担させる方式)で、スパン100mを越えた日本初の橋である。

<永代橋落橋事件>
文化4年(1807)8月、深川八幡の祭礼が11年ぶりに行われ、多くの人が永代橋を通って深川に向かった。
一橋公が船でこの下を通るために橋は一時通行止めになり、解除後一気に群衆が殺到したため、その重みで橋が崩落した。
一説には死者1500人を越えたと言われる。
蜀山人は「永代のかけたる橋は落ちにけりきょうは祭礼あすは葬礼」と詠んだ。
この惨事を題材にできたのが、落語「永代橋」である。
永代橋から落ちて死んだと思われていた人物が実は生きていた、という内容なのだが、自分の死骸を自分で引き取りに行くという話しは「粗忽長屋」と似ている。
ただし、「太兵衛は武兵衛にかなわない(多勢に無勢はかなわない)」という下げは「粗忽長屋」の秀逸な下げには到底及ばない。


■豊海橋



隅田川に合流する川の最後の橋には、それぞれ独特のデザインが施された。
川を行く船から位置がよくわかるように、という配慮らしい。
中でも日本橋川が合流する地点に架かる豊海橋のデザインは群を抜いている。
隣り合う永代橋との対比も鮮やかで、よく考えられたデザインであると思う。

この形式をフィーレンデールと言う。
トラスが3角形で構成され、接点がピン(回転可能であるということ。実際に回転可能であることは少ない)であるのに対し、4角形で構成され、接点は全て剛である。
この橋は数少ないフィーレンデールの名橋と言ってよい。

黒部峡谷鉄道に乗ったことがある人は、猫又駅附近から見える黒部川第2発電所が記憶に残っているかも知れない。
発電所の右手に架かっている赤い橋が、豊海橋と並ぶフィーレンデールの名橋である。

・・・・・・

名橋とは言えないが、ついでに
一石橋(いちこくばし)



これは日本橋川の上流にあり、有名な日本橋の2本上流の橋である。
もとは「八つ見橋」と言った。
橋の上に立つと、この橋を含めて八つの橋が見えたということに由来する。
歌川広重が名所江戸百景において「八ツ見のはし」として描いている。
これが地震で崩落し、後藤姓の2人の金持ちが費用を出して修復した。
後藤と後藤(五斗と五斗)で一石と洒落た名前である。
これは、落語の「十徳」の中に出てくる挿話。

現在では首都高速の呉服橋ランプに当り、見るかげもない。
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