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ミヤコドリ@三番瀬

ミヤコドリ
チドリ目ミヤコドリ科
体長45cm
撮影 2009.12 千葉県船橋市三番瀬

少し前の写真ですが。










「伊勢物語」に登場する都鳥は、今日ではユリカモメのことと考えられています。
その関係で、ユリカモメは東京都の鳥に指定されています。
「都鳥=ユリカモメ」説については↓
以前の記事

では、なぜこの”Eurasian Oystercatcher”にミヤコドリという名前が付けられたのか。
その前に原典である伊勢物語の東下りの一節を読んでみましょう。
なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中にいと大きなる川あり。
それをすみだ川と言ふ。その川のほとりに群れ居て、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡し守、
「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さる折しも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、
「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。

「都鳥=ミヤコドリ」説を唱えた人の代表は、北野鞠塢(きたの きくう)という人で、江戸時代後期の文人・本草家。
1762年に仙台で生まれ、日本橋で骨董屋を開いて財をなし、後に向島の百花園を開いた人。
彼は「都鳥考」という著書で、業平は「黒き鳥」と書くべきところを「白き鳥」と間違えたのだと言う説を唱えました。
いささか強引と思える説ですが、結局これが”Eurasian Oystercatcher”にミヤコドリという名前が付けられた原因のようです。

現在ではユリカモメ説が有力ですが、ミヤコドリ説を唱える人もいます。
万葉集には大伴家持が詠んだ都鳥の歌がありますが、これにも各種の説があって、実はかなり長い間の論争になっていることが伺えます。
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