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大善寺本堂(山梨県勝沼町)

大善寺
山梨県甲州市
撮影 2019.2.24

718年、この地を訪れた僧行基が、夢の中に手に葡萄を持った薬師如来が現れ、その姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが、柏尾山大善寺の始まりとされる。
また、行基は薬園を作り、法薬として葡萄の作り方を村人に教えた。これが甲州葡萄の始まりだと伝えられている。

時代は下って1582年、武田勝頼は織田、徳川連合軍の前に敗退し、岩殿城で再興を図ろうと韮崎から移動中、この大善寺で戦勝祈願を行った。
しかし、家臣の大半が夜半に離散し、岩殿城主の裏切りにも合い、勝頼主従は織田、徳川連合軍に行く手を阻まれ、ついに勝頼主従は自決。甲斐源氏は滅亡した。
その一部始終を記した「理慶尼記」は、武田滅亡記とも呼ばれ、この大善寺に大切に保管されている。

さらに1868年、旧幕府軍と新撰組は、新政府軍に鳥羽・伏見の戦いで敗れ、大坂から江戸へ敗走する。
その後、近藤勇を隊長とする「甲陽鎮撫隊」は、新政府軍の東進を阻止しようと、甲府城を接収する目的で甲州街道を西進する。
しかし、板垣退助率いる新政府軍はわずか1日の差で甲府城に入城。近藤は大善寺に本陣を置こうとしたが、大善寺には徳川家縁の寺宝があるという理由から諦め、大善寺の西側に布陣した。
戦闘はわずか2時間程で終わり、甲陽鎮撫隊は江戸へ敗走した。
「甲州勝沼粕尾坂の戦い」として知られている。

色々な歴史を見てきた大善寺は、西に甲府盆地を見下ろす粕尾山の中腹にあり、中央自動車道からも(フェンス越しにだが)見える。

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三門

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石段の上に楽堂が乗っている、珍しい形態。

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楽堂越しに本堂が見える

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稚児堂

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楽堂と稚児堂
縁日の際などに、楽堂で音楽を奏で、稚児堂で舞を舞って参拝者をもてなした。

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本堂(薬師堂)
24m四方の大きさがあり、檜皮葺きの屋根は流麗な曲線を見せて、簡素なデザインだが力強く美しい。
山梨県内では、2つある国宝建造物のひとつ。

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境内から、甲府盆地を望む
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

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