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名盤コレクション29 ニューイヤー・コンサート1989(カルロス・クライバー/VPO)

ニューイヤー・コンサート1989
カルロス・クライバー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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ヨハン・シュトラウスⅡ/加速度ワルツOP234
ヨハン・シュトラウスⅡ/田園のポルカOP276
ヨーゼフ・シュトラウス/ポルカ・マズルカ「とんぼ」OP204
ヨハン・シュトラウスⅡ/喜歌劇「こうもり」序曲
ヨハン・シュトラウスⅡ/ワルツ「芸術家の生涯」OP316
ヨーゼフ・シュトラウス/ポルカ「風車(水車)」OP57
ヨハン・シュトラウスⅡ/ポルカ「ハンガリー万歳!」OP332
ヨハン・シュトラウスⅡ/ポルカ「クラップフェンの森で」OP336
ヨハン・シュトラウスⅡ/ワルツ「春の声」OP410
ヨハン・シュトラウスⅡ&ヨーゼフ・シュトラウス//ピチカートポルカ
ヨハン・シュトラウスⅡ/歌劇「騎士パズマン」~チャールダーシュ
ヨーゼフ・シュトラウス/ポルカ「おしゃべりなかわいい口」OP245
ヨーゼフ・シュトラウス/ジョッキー・ポルカOP278
ヨハン・シュトラウスⅡ/ワルツ「美しき青きドナウ」OP314
ヨハン・シュトラウスⅠ/ラデツキー行進曲OP228


リパッティが演奏する、ショパンのワルツ集を取り上げた時に、こう書いた。

<ショパンが初めてウィーンにやってきたのは1830年のことである。
当時のウィーンでは、ヨハン・シュトラウス1世やヨーゼフ・ランナーが創始した「ウインナワルツ」が大流行していたが、ショパンはそれらの音楽を全く理解できなかったという。
ショパンはその翌年にワルツ第1番を作曲した。彼のワルツは、深い叙情性と高い音楽性を備え、単なる社交のためのダンス音楽ではなく、あくまでも鑑賞のための芸術音楽である。
そう言ってしまうと、社交音楽であるウインナワルツは取るに足りない音楽だと言っているようだが、ことはそう単純に割り切れるものではない。ただ、ウインナワルツを芸術にまで高めたヨハン・シュトラウス2世が、ウィーンの音楽界を席巻するのはまだ先のことである。>


ヨハン・シュトラウス2世やその弟であるヨーゼフ・シュトラウスなどの音楽については、社交のための音楽として一段下に見る傾向があるのは確かである。
ただし、ヨハン・シュトラウスの音楽に対しては、ワーグナーやブラームスも賛辞を送っているのは興味深い。
チャイコフスキーも「くるみ割り人形」を書く時には、シュトラウスのワルツを大いに研究したと言われている。
リヒャルト・シュトラウスは「モーツァルトのような音楽を書く」と言って「ばらの騎士」を書いたが、そのモーツァルトを見る視線の先にはヨハン・シュトラウスのワルツがあったことは間違いない。
「こうもり」をウィーン国立歌劇場のレパートリーにしたのはマーラーだという事実も、これまた興味深い。


さて、シュトラウス一族の音楽が演奏される機会としては、毎年元日に行われるニューイヤーコンサートが一番有名だろう。
毎年それを指揮する指揮者が注目され、世界中に生中継され、CDが飛ぶように売れる。
日本からもツアーが組まれ、人気のようである。(ただし、お値段は相当に高い)

そのニューイヤーコンサートの始まりは1939年の大晦日である。(初回はジルヴェスターコンサートだった)
その前年の3月12日、ナチス・ドイツがオーストリアを併合したが、それによるウィーン市民の不満を和らげる目的で催されたという説が有力である。
指揮はクレメンス・クラウス。
2回目の1941年から元日に行われるようになるが、「ニューイヤーコンサート」と呼ばれるようになるのは後のことである。
45年は中止。46~47年は、クラウスがナチス協力者の嫌疑を受けた(結果は無罪)ために、ヨーゼフ・クリップスが務めた。
48年からクラウスが復帰し、亡くなる年の54年まで務める。
翌49年から79年まで、ウィリー・ボスコフスキー、80年から86年までロリン・マゼールが指揮した。
1987年にカラヤンが指揮して以降、同じ指揮者が2年続けることはなくなった。
1988年にアバドが指揮したあと、満を持してカスロス・クライバーがニューイヤーコンサートの指揮台に立つ。
今でも、史上最高のニューイヤーコンサートと言われている。
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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

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