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名盤コレクション23 マーラー/交響曲第9番(ワルター/VPO)

■マーラー/交響曲第9番
 ブルーノ・ワルター/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1938年1月16日(ライヴ録音)

■マーラー/交響曲第5番~第4楽章「アダージェット」
 ブルーノ・ワルター/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1938年1月15日(セッション録音)

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1930年代~40年代の歴史的録音を聴く場合、第一次世界大戦後の混乱からファシズムの台頭、第二次世界大戦へという時代背景を抜きにしては語れない。
その中心人物は、言うまでもなくナチス・ドイツの総統ヒトラーである。

アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、ドイツ国境に近い、オーストリアのブラウナウで生まれた。
若い頃は画家を目指していた。
絵葉書を書く仕事などもしていたようで、風景画などが残っている。

政治の世界に足を踏み入れたのは1919年。ドイツ労働者党という、当時発足したばかりの政党に入党する。弱小の反ユダヤ主義的極右政党だったようだ。
翌年、党は「国家社会主義ドイツ労働者党」 Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei (略称NSDAP)と改名した。いわゆる「ナチ党」の誕生である。
ちなみに「ナチ」とは頭の4文字”Nati”であることは言うまでもないが、当初は反対勢力からの蔑称だった。

ヒトラーは次第に党内で頭角を現すようになり、1921年7月には党首に就任する。
議会制民主主義を否定する立場のヒトラーは、合法的な選挙を通じて政権を取ることには興味がなかった。
右翼暴力革命を目指し、1923年にはミュンヘンでクーデターを企てるが失敗し、投獄される。
ここで国家反逆罪にでも問われれば極刑になる可能性もあったとされる。そうなっていたら後の歴史は大きく変わっていただろう。何にしても色々な思惑が絡んだのか、さほどの刑には問われなかった。

ヒトラーはその失敗から学んだのか、出獄後は、保守層、知識層、労働者層など、それぞれの階層に対して、巧みなプロパガンダを行い、民衆からの支持を取り付ける戦略に転じた。そのやり方は、悪いのは全てユダヤ人のせいだという論法を振りかざし、社会の各階層に分断を煽るやり方で、対象は違えど誰かのやり方と同様である。

1932年7月の選挙において、ナチ党はついに国会で第一党になる。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に指名し、ここにヒトラー政権が誕生した。
当時のドイツは(今もそうだが)大統領制で、選挙で選ばれた大統領が首相を任命するという仕組みだった。
ここで、ヒトラーが首相に指名された経緯については色々あるのだろう。
とにかく、ここからヒトラーの独裁者への道が始まるのだが、それは実にあっという間の出来事なのだ。
わずか2か月ほどの間に、取り返しのつかない事態に発展する過程は本当に恐ろしい。
そんなことを「合法的」の仮面をつけたままにやってのけた背景にはひとつの大きな武器があった。
民主的と言われたヴァイマール憲法に開けられた「穴」である。

ヴァイマール憲法には「緊急事態条項」とも呼べる条項があった。
その48条には、大統領の権限として、緊急時には大統領緊急令を出発動し、事態を収束するために「必要な措置を講ずる」ことが出来るとされていた。

首相が大統領を動かし、大統領緊急令を安易に出すという形になると、首相のやりたい放題になる。
実はヒトラー政権以前にも、少数与党が続いたために、大統領緊急令が乱発され、国会の形骸化を招くという弊害はすでに見られていたが、ヒトラーはこれを最大限利用した。
特にこの翌月、国会議事堂炎上事件が起き、これを契機に大統領緊急令を出し、反対勢力の弾圧に利用した。
そもそも国会議事堂炎上事件自体がナチ党の自作自演ではないかという疑惑もある。

3月23日には独裁体制への決定的な法律である、授権法(全権委任法)を成立させた。
この法律は、わかりやすく言うと「政府が勝手に法律を作ることが出来る。その法律は憲法に違反していても問題ない」という、恐るべき法律である。
さらにナチ党以外の政党は非合法化、あるいは解散させられ、新党の結成は禁止された。
これにより、国会も憲法も完全に効力を失い、政治は独裁者ヒトラーの思うがままになった。


以前、麻生太郎という人が「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と、発言し問題になった。
民主主義国の政治家が「ナチス・ドイツに学べ」などとは言語道断だが、この人はワイマール憲法のことなどよく勉強していないことなど明らかだった。
そもそもワイマール憲法は改正されることなく、形式上はドイツ敗戦まで存続している。
憲法の効力を事実上失わせたのは全権委任法だが、その前に大統領緊急令によって形骸化されてしまっている。
先の麻生氏の発言は、歴史を知らないとして顰蹙を買ったが、以上の事実を知っての発言だとしたら悪質である。もっと問題にすべきだったと思う。今でもこの人は変わっていないのだから。


翌1934年8月にはヒンデンブルク大統領が死去し、ヒトラーが首相と大統領を兼務する形で「総統」に就任した。
これは高齢のヒンデンブルクが、「自分が死んだらヒトラー首相が大統領になる」という意味の大統領緊急令を出す形で行われた。まさに茶番である。

反ユダヤ主義者のヒトラーが独裁者になったことで、メンデルスゾーンやマーラーなど、ユダヤ人の手になる音楽は「退廃音楽」として演奏禁止になった。
他に「退廃音楽」とされたのは、ジャズ、アフリカ起源の音楽、難解な現代音楽、社会主義者の手になる音楽などである。

ユダヤ人であるブルーノ・ワルターも迫害を受け、ドイツ国内では活動が出来なくなり、隣国のオーストリアに移住する。
そのオーストリアも、1938年3月12日にナチス・ドイツによって併合され、ワルターは最終的にアメリカに逃れることになる。

ここに取り上げたマーラーの9番は、オーストリア併合のわずか2か月前に、ウィーンで行われた演奏会の録音で、歴史的名盤として長く語り伝えられてきた。
この時期のウィーンでマーラーを演奏するのは、相当危険な行為であったことは想像できる。これが録音され、我々が聴くことが出来るというのは、ほとんど奇跡に近いことだと言っても過言ではない。
この録音は多くのCDが流通しているので、中古のCDショップを数軒廻れば必ず見つかるだろう。


長くなったので「アダージェット」に関しては次回に廻そうと思う。
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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

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