FC2ブログ

ミヤコドリ@三番瀬

ミヤコドリ
チドリ目ミヤコドリ科
体長45cm
撮影 2017.9.3 千葉県船橋市













ミヤコドリとユリカモメが偶然並んだシーンを撮影できたので、何度も書いている話だが、いわゆる「都鳥論争」についてまとめて置きたいと思う。

都鳥は、平安初期に成立した「伊勢物語」の、東下りの中に登場する。
伊勢物語の作者はよくわかっていないが、ここに登場する主人公については、とりあえず在原業平であると考えられている。


伊勢物語 東下りの段

なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国とのなかにいと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。
その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、
かぎりなく遠くも来にけるかな、とわび合へるに、
渡守、「はや船に乗れ、日も暮れぬ。」といふに、乗りて渡らむとするに、
みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さる折しも、白き鳥の、嘴はしと脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。
渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、
「名にし負はばいざ言こと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」
と詠めりければ、船こぞりて泣きにけり。

 白い鳥で
 嘴と足が赤い
 シギの大きさで
 水の上を飛びながら魚を食べる
という特徴から、現在この「都鳥」はユリカモメのことであると考えられている。

ちなみにこの時代、シギとは「タシギ」を指したようだ。
 タシギ27cm
 ユリカモメ40cm
なのでこのあたりは微妙だが、鳥の大きさというのはなかなか把握しにくいものだ。

 京には見えぬ
という記述だが、現在の京都でユリカモメが見られるようになったのは比較的最近のことで、平安時代には見られなかったというのは不自然ではない。

こうして見ると「都鳥=ユリカモメ」説は有力と思われるが、異説もある。それが「都鳥=ミヤコドリ」説である。
それは「白き鳥」というところを「黒き鳥」と読んだ人がいたのである。
 黒き鳥の、嘴はしと脚と赤き
ならばミヤコドリは当てはまる。というか、それで“Eurasian Oystercatcher”にミヤコドリという和名が当てられたのである。

「白き」と「黒き」を読み間違えるというのはありえないようにも思うが、当時は今のように印刷技術が発達しているわけではない。
この時代の本というのは、手書きの写本で伝わって行くことが多いのである。
手書きの仮名で、特に縦書きで書くと「しろき鳥」と「くろき鳥」というのは確かによく似て見える。

“Eurasian Oystercatcher”は比較的最近増えて来た鳥だ。
平安時代に見られたかどうかは定かではないが、「水の上を飛びながら魚を食べる」という特徴には当てはまらない。
総合的に考えて、都鳥=ミヤコドリ説には無理があると考え、都鳥=ユリカモメ説に軍配を上げたいと思う。


ただし、ここで問題にすべきなのは、
「なぜ渡守がこの鳥を都鳥だと言ったのか」
という点である。

今でもユリカモメを「ユリカモメ」と呼ぶのは、ほぼバードウォッチャーだけで、多くの人は単に「カモメ」と呼ぶ。
セグロカモメもカモメもウミネコもユリカモメも区別せず、「カモメ」と呼ぶのが普通の人。
当時の渡守がこれらの鳥を区別して呼んでいたというのは考えにくく、カモメ類一般を指す言葉があったと考えるのが自然である。
ウミネコに代表されるように、カモメの仲間はミャーミャーと聞こえる声で鳴くところから、「ミャーコ鳥」と呼ばれていたことが想像できる。

これは幸田露伴の説で、文学的見地から見ると身も蓋もない説だが、バードウォッチャーの感覚的には正しいと思う。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

No title

これは大変勉強になりましたいろんな説があるんですね。
都鳥はユリカモメの事だとうのは聞いた事がありますが、都にいなかったのに都鳥とはこれ如何に?と考えたらみゃーみゃー鳴くからっていうのがすごく当てはまりそうな気がします。
プロフィール

papageno620

Author:papageno620
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア