FC2ブログ

尾瀬-草紅葉(2)

2010.9.26

大江湿原の草紅葉を楽しんだあと、尾瀬沼の南岸へ。



尾瀬沼畔に建つ長蔵小屋。

平野長蔵が尾瀬に初めての小屋を建てたのは1910年。今年は100周年になる。
その小屋はここではなく、沼尻にあった。
現在地に移設されたのは1915年のことである。

・・・・・・

尾瀬周辺の地図をお持ちの方は、是非見ていただきたい。
尾瀬沼は群馬県と福島県の県境にある。
福島県側は、桧枝岐村の御池から沼山峠登山口まで道路が伸びている。
私も今回この道をバスに揺られて来た。
一方、群馬県側からは大清水峠から三平峠の下まで車道が通じている。

1960年代、双方からの道を延伸し、尾瀬沼附近でつなげる計画があった。
沼山峠への道も1970年に自然破壊の声を無視して建設された経緯があることは忘れてはならないだろう。
その建設計画が実現していたら、現在長蔵小屋が建つあたりには大規模な駐車場と土産物屋が並び、観光バスが大挙して押しかけ、どこにでもある観光地と同様になっていただろう。

1971年、平野長蔵の孫に当たる平野長靖が、大石武一環境庁長官に直訴。大石長官は自ら尾瀬を視察し、建設中止を決断した。
長靖はその冬、尾瀬から下山中に遭難、凍死した。
享年36歳。文字通り、命がけで尾瀬の自然を守りぬいた人物として記憶に残る。

・・・・・・

尾瀬には電源開発の問題もからんでいる。
実は、尾瀬のほとんどの土地は東京電力が所有している。
早くから豊かな水資源として注目されたからだ。
1922年、現在の東京電力が尾瀬ヶ原、尾瀬沼一帯の水利権を取得。
1944年、尾瀬沼からの取水による発電の計画を発表。
1947年、戦争で中断していた上記計画の可否を、関係者が長蔵小屋で協議したが、平野長英(長蔵の子息)一人が反対した。この時代、圧倒的に開発派が強かったのだ。
1948年、尾瀬ヶ原に高さ100mのダムを作り、尾瀬ヶ原全体をダム湖にする計画が発表される。
詳細については知らないが、常識的に考えると現在の温泉小屋あたりに計画されたのだろうか。
これが実現していたら、尾瀬ヶ原は尾瀬沼の8倍の面積のダム湖になっていた。
東京電力が尾瀬ヶ原の水利権を正式に放棄したのは1996年のことである。尾瀬沼の水利権に関しては今でも生きている。
今見られる尾瀬の自然も、案外危ういものだったのである。

・・・・・・



尾瀬沼南岸道をしばらく進むと、尾瀬沼越しに燧ヶ岳の威容。
東北地方の最高峰で、以北最高峰。(これより北に、これより高い山はない)




南岸道は木道が傷んでいて、やや歩きにくい。
長蔵小屋から1時間半ほどで沼の西端。
小さな湿原の向こうに燧ケ岳が大きい。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

papageno620

Author:papageno620
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア