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マイフィールド


日付:2005.3.24(木)
場所:茨城県土浦市マイ・フィールド
カワウ
コガモ
キジバト
コゲラ
ヒバリ
ハクセキレイ
セグロセキレイ
ヒヨドリ
モズ(C)
ツグミ
ウグイス(S)
エナガ
シジュウカラ
ホオジロ
カシラダカ
アオジ
カワラヒワ
スズメ
ムクドリ
ハシボソガラス
ハシブトガラス
(ドバト)
以上21+1種
囀っているのは、ヒバリ、セグロセキレイ、ウグイス、シジュウカラ、ホオジロ
ジョウビタキが見られなくなった。去年の終認は3/23
ツバメの初認は、去年は3/25

写真は、途中で見たオトメツバキ

トラブル続きの日本航空に物申す

日本航空が、トラブル続きで問題になっている。
時としてこういう連鎖反応があり、また些細なトラブルも大きく報道されることもあるので、過剰反応はいかがなものかとも思う。
ただ、人命に関することである以上、見過ごすことはできない。
気になるのは、「1:29:300の法則」
ひとつのアクシデント(大事故)の影に29のインシデント(小事故)、300のトラブル(不具合)が隠れている、という統計的な法則である。
それゆえ、些細なトラブルを見逃さず、原因を究明し、トラブルを未然に防ぐことが、実は悲劇的なアクシデントの確率を少なくする有効な手段であるということなのである。
これは何も航空会社ばかりではなく、我々一般人の車の運転などにも応用できる法則である。
頻繁に、小さな接触事故などを起こしているドライバーはいつかアクシデントを起こす。
反対に、事故を起こさない人はちょっとしたトラブルも少ない。
自慢になるようだが、私は70万キロ運転して無事故である。
事故を起こす人は1年に3回も起こす。

日本航空は、1970年代以降、たびたびアクシデントを起こしている。
1972年6月14日、ニューデリー事故(86名死亡)
1972年11月28日、モスクワ、シェレメチェボ事故(62名死亡)
1977年1月13日、アンカレッジ事故(5名死亡)これは貨物機なので、乗客なし
1977年9月27日、クアラルンプール事故(34名死亡)
1982年2月9日、羽田沖逆噴射事故(24名死亡)
1985年8月12日、御巣鷹山事故(520名死亡)

この間、全日空では
1971年7月30日、雫石事故(162名死亡)
以降、重大事故はない。
この雫石事故についても、非は相手側の自衛隊機にあると考えられている。

日本航空も、御巣鷹山の事故はさすがにショックだったと見えて、その後安全対策を徹底し、信頼を回復した。
以後20年間、重大事故はない。
14年間に6回墜落した汚名は返上したと言ってもいい。
それが、ここに来てこのトラブル続き。
先に挙げた「1:29:300の法則」は、航空関係者には耳タコのはずである。

福島空港でのシリモチ事故は、御巣鷹山の事故を連想させてしまう。
あの悲劇の飛行機JA8119は、1978年6月2日に大阪空港でシリモチ事故を起こし、機体後部を破損した。
厳密にいうと今回の福島での事故は、シリモチ事故とはいえない。
シリモチによる、機体損傷を防ぐために付けられているテールスキッドを滑走路にこすった程度。
車で言えばバンパーをこすった程度と言っては言い方が軽すぎか?

JA8119のシリモチ事故は重大な結果をもたらした。
この事故により圧力隔壁が破損し、その手抜き修理が原因で御巣鷹山の悲劇的事故が引き起こされた。
だからボーイング社の修理ミスが墜落の原因であるというのが一応、公式の見解である。

だが事実は全く違う。

運輸省(当時)の事故調査委員会の報告によると、事故の原因はこうである。
■修理ミスにより、与圧に耐えられなくなった圧力隔壁が破壊し、与圧された空気が一気に抜け、垂直尾翼を破壊、油圧系統が破断され操縦不能に陥った。

しかし、これが虚構であることは明らかである。
なぜならば、急減圧がなかっかことは数々の証拠から証明されている。
1.急減圧があった場合、高度3000mまで急降下することが定められている。これは操縦のイロハである。
しかるに、この飛行機(123便)ではそのような操作は行われていない。乗務員は最後まで酸素マスクモつけていないことがボイスレコーダーから明らかになっている。
2.この事故では奇跡的に4人の生存者がいた。急減圧があると、気圧が一気に下がるため耳が痛くなり、一時的に聞こえなくなる。また、断熱膨張により、気温が数10度も急激に下がる。
ところが、生存者の証言にはそのような記録はない。
3.多くの人が遺書を書いているが、このようなことを書いたものはない。大体、急減圧のもとで遺書など書けるだろうか。

急減圧がなっかたことは明らかであり、事故調の報告書は前提からして間違っている。

怪しいことはいくらもある。
8月の午後6時代といえばまだ明るい。
墜落の時点で、その地点は特定されていたはず。
にもかかわらず、明朝まで明らかにされなかった。
操縦不能に陥った時点から、墜落まで32分の時間があった。
この間、何があったのか。
自衛隊も米軍も事態は把握していたはずである。
500人以上を乗せた民間機が操縦不能に陥って、東京の近くで迷走しているのである。
知らなかったでは済まされない。
事実、自衛隊はスクランブル発進し、123便を追尾している。
123便が青梅近くまで飛んできた理由を考えると、横田基地に緊急着陸させようとした形跡が伺える。
自衛隊は、墜落時点でその場所は正確に把握していたはずだ。
また、そのくらいの能力がなければ変だ。
ところが、墜落地点については明朝まで明らかにされず、マスコミも振り回され、結局自衛隊が現地に一番乗りした。

奇跡的に救出された生存者の中に、非番のキャビン・アテンダントがいた。
彼女の証言は重要だった。
「ドーンという音がして、機内は白くなった」
「床下のベントホールが開いた」
「機体はダッチロールを始めた」
という3点が特に重要である。
最初の証言は、急減圧の証拠とされているが、間違いであることは先に述べたとおりである。
2番目も、急減圧があったことの傍証とされるが、彼女はそのようなことは言っていない、と後に述べている。
3番目のダッチロールについてだが、
ダッチロールというのは、ローリング(横揺れ)とヨーイング(重心を中心にした回転する揺れ)が同時に起こることで、飛行機の設計では最も避けるべき状態とされている。
こんな専門用語を知っているとはさすがに客室乗務員と思わせたが、実は彼女はこんなことは言っていない。
ダッチロールという用語は知らなかった、とあとで証言している。
これは、日本航空側が自社の社員に一方的に取材して造り出した、一種の捏造証言なのである。

以下は巷間流布されている説に、私自身の考えを加えたものである。

当日相模湾沖では自衛隊によるミサイル発射訓練が行われていた。
これは通常訓練であって、特別なものではない。
標的機を飛ばしてこれを迎撃する訓練である。
これが誤って123便の尾翼を直撃したというのが自衛隊誤射説である。
その後の政府、自衛隊の対応を考える時、ある意味説得力のある説だ。
だが、私はこの説を支持しない。
この説が真実だとすれば、その事実を知る人間はかなりの数になるはずだ。
多くの人間が秘密を共有することは非常に難しい。
その秘密が重大であればあるほど難しい。
500人以上が犠牲になった事故である。
そのような事実に人は耐えられるだろうか。
私は否と考える。

そこで問題なのは、大阪でのシリモチ事故である。
この事故では圧力隔壁が損傷し、ボーイング社が修理をしたが、手抜き修理であったことはボーイング社が早々と認めた。
圧力隔壁が破壊するほどのシリモチ事故である。
垂直尾翼に何らかの損傷があったと考えても不思議ではない。

このJA8119は後部のトイレのドアが、上空ではスムーズに開くが、地上では建て付けが悪いという噂があった。
また、この機では、垂直尾翼のラダーが上下2枚に分かれているが、その角度がわずかにすれていたという。
恐らく長時間の飛行によって、ラダーにフラッターが生じて金属疲労を起こし、ついには破壊をもたらしたのだろうと考える。
この説は、日本航空の技術者が提唱している説で、最も信頼できる説だと思う。
B747-SRという飛行機は短距離型であるゆえに、そのような危険が増すのだろうということは、たびたび指摘されている。
事実、SRにトラブルが多いのは事実である。

以上、長々と書いたが、「急減圧がなかった」ということだけは厳然とした事実であり、そうであれば事故調査委員会の報告は完全に根拠を失うわけだ。
国土交通省と日本航空とボーイング社は真相を知っているはずだから、明らかにしてもらいたい。
そうでなければ亡くなった520人は浮かばれない。

丹下健三逝く

日本を代表する建築家、丹下健三が亡くなった。
91歳だった。
戦後の建築は常に丹下がリードしてきた。
実作のみならず、丹下の門下が建築界を席巻していると言っても過言ではない。
多少、好き嫌いはあるとしても、丹下の影響を受けていない建築家はいないだろう。

各紙に彼の代表作が紹介されている。
一般的には、現東京都庁舎、国立代々木競技場、タイムリーな話題とからめてフジテレビ本社あたりだろうか。
私の好きな丹下作品は、
■国立代々木競技場
■広島平和記念館
■今はない、旧東京都庁舎
■東京カテドラル聖マリア大聖堂
あたりだろうか。

告別式は、自身が設計した東京で最も美しい建築、東京カテドラルで行われるらしい。
幸せな一生と言えようか。
合掌

霞ケ浦湖畔

日付:2005.3.23(水)
場所:茨城県土浦市霞ケ浦湖畔
カワウ
チュウサギ
マガモ
カルガモ
オカヨシガモ
ヒドリガモ
オナガガモ
ハシビロガモ
オオバン
ユリカモメ
セグロカモメ
カモメ
ハクセキレイ
ヒヨドリ
スズメ
ムクドリ
ハシボソガラス
ハシブトガラス
(ドバト)
以上18+1種
昨日よりも悪い天気。写真を撮るような状況ではなかった。
波も高くて沖合いの方は全く見えない。
ここでは割りに珍しいカモメが1羽いた。
例年に比べてセグロカモメが目立つ。

ユリカモメ若鳥


ユリカモメ若鳥
チドリ目カモメ科
撮影日 :2005.3.22
撮影場所:茨城県土浦市霞ヶ浦湖畔

やや褐色が残っているのと、尾羽の黒帯が若鳥の目印。
下尾筒から尾羽が透けて見えるのがわかる。

ユリカモメ成鳥


ユリカモメ成鳥
チドリ目カモメ科
撮影日 :2005.3.22
撮影場所:茨城県土浦市霞ヶ浦湖畔

多くのユリカモメが越冬する場所。
天気が悪く、暗いので画質は落ちる。
鳥の正面顔は意外に面白い。

霞ケ浦湖畔


日付:2005.3.22(火)
場所:茨城県土浦市霞ケ浦湖畔
カンムリカイツブリ    沖合い
カワウ
チュウサギ
コサギ
アオサギ         やけに白い個体。別の鳥かと思った。
マガモ
カルガモ
コガモ
オカヨシガモ
ヒドリガモ        ♂が大分赤くなって来た。
オナガガモ        ♂が大分赤くなって来た。
ハシビロガモ
オオバン
ユリカモメ        幾分、頭が黒い個体が多くなってきた。
セグロカモメ       成鳥2羽と若鳥1羽
ハクセキレイ(C)
ヒヨドリ
ツグミ
オオジュリン
スズメ
ムクドリ
ハシボソガラス
ハシブトガラス
(ドバト)
以上23+1種
今日は生憎の雨。
雨だからといって、鳥見をやめないのは病気である証拠。
雨の場合は、車中からできる霞ケ浦は便利な場所。
片道10分ほどかかるので、鳥見は20分しかできなかった。

ヒドリガモ、オナガガモは婚姻色が出た個体が多くなっている。

写真はユリカモメ成鳥

再び、つくばのマンションについて



先日この欄で批判した、つくばに建設中のマンションの件。
しつこいようだが、1枚目の写真を見てほしい。

左は80年代を代表する、磯崎 新のつくばセンタービル。
今は死語になった「ポストモダン」の象徴的な建築で、当時世界中が注目した。
ポシトモダン建築は各地にその形だけが引用されたが、この本家本元だけは不滅の存在だろう。

右は伊東豊雄によるつくば南駐車場。
耐火鋼を使った無被服鉄骨構造で、伊東らしい色使いとデザインが光る。

建築中のマンションの向こう側には、谷口吉生の設計になるつくばカピオが建っている。

このマンションによって、つくば中心部のグランドデザインが完全に破壊されてしまったことはこの写真から容易にわかるだろう。
いや、もともとグランドデザインなどなかった、というほうが正しいのだろう。
この国の都市計画の貧困さがよく浮かび上がってくる光景ではないか。
この状況に対して、批判する意見を耳にしないのも不思議。
ただ、これでもこの場所はいい方なのである。

このマンションの北側は大清水公園という公園なのである。
この公園は衝立のようなマンションによって、完全な日陰になってしまった。
特に寒い時期にはここで遊ぶ子どもたちなど想像もできない。
2枚目の写真を見てほしい。
こんなはずじゃなかった、と静かに佇むカピオ。
わずかに残された陽の当たる場所を求める人々。

つくば「Q’t」オープン


つくばの「Q’t」がオープンした。
まあ、このあたりにはなかったタイプの建築ではある。
こういう建物が続々と出現し、駅もできるし、いい街になるよう本心から願っている。

「Q’t」を建築的に見ると、中央にやや複雑な形状の屋外オープンスペースを配した商業建築で、東京の裏原宿あたりをイメージしたものかなと思ったりした。
雰囲気的には悪くはない。
だがちょっとトイレなんかに入ってしまうと、仕上げやディテールの粗雑さが目に付いて困る。
これは商売柄か。

大植英次/大阪フィルのマーラー


大植英次/大阪フィル
つくば、ノバホール
午前中、筑波山登山、午後からコンサートという過密日程。
というより、15:00からコンサートだからその前に山に行こうと考えたに過ぎない。
文化と自然が共存する「つくば」ならではの楽しみである。

今日のコンサートを楽しみにしていた理由は2つある。
ひとつは、故朝比奈隆が55年もの長きに渡って培ってきた大阪フィルが今、若手指揮者大植(おおうえ)英次を迎えてどういうオーケストラになっているのかという興味。
もうひとつは、その大植英次が今年、日本人として始めてバイロイト音楽祭で「トリスタンとイゾルデ」を振るからである。

曲目はマーラーの交響曲第6番
キャパ1000人ほどのノバホールで、マーラーを聴く機会はほとんど無い。
しかも6番である。
聴く当方としても身構えざるを得ない。

マーラーは病的なほど死を恐れた人物である。
それ故マーラーの音楽は、痛いほどのイメージに彩られている。
これは誰かの受け売りだが、マーラーと死のイメージについて面白い見解がある。
マーラーの作曲人生において、交響曲を系統的に並べてみると、
「第2番」―3曲おいて「第6番」-3曲(大地の歌を含む)おいて「第9番」
という構成になる。
「第2番」は<復活>という副題からも明らかなように、復活を前提にした救いのある死を扱っている。
「第6番」は、復活を前提にしない、救いのない死である。
「第9番」は、最早あきらめの境地に達した、受けいれる死である。

こう考えると、「第6番」は最もマーラーらしいメンタリティに満ちた作品であると言えないだろうか。

5,6,7番の3曲は声楽を用いない、純粋な器楽作品。
指揮者の構成力が物をいう。

7番はちょっと破綻気味の音楽で、私も少々苦手だ。

5番は当代1の人気曲で、演奏される機会も多い。
何しろ、クラシック音楽で最も美しい第4楽章と、それに続く能天気なまでに肯定的な最終楽章は、聴く者を陶酔させずにおかない魔力にあるれているのだ。
それに比べて6番は、とてつもなく暗く重苦しく、ある意味とても地味な音楽である。
これを聴かせるには余程の腕力が必要だろう。
このプログラムを知ったときから、期待と不安でいっぱいだった。

席は4列目の真ん中でB席。
5列目からはA席だから、コストパフォーマンスを考えると最良の席とも言える。
ただし、管楽器は全く見えない。ファゴットの先端だけが見える。

さて、登場した大植英次は、小柄だが颯爽としたなかなかいい男。
若い指揮者らしいダイナミックで大きな身振りである。
余談になるが、若い頃のクナッパーツブッシュやカイルベルトも指揮台から転落したことがあるそうだ。
晩年の小さな動きからは想像できないが、これは年のせいだ。
若い指揮者は元気でなければ。

結論からいうと、全く素晴らしいとしか言いようのない演奏だった。
約85分、完全に集中力を持続した上に、一分の隙も無い構成力には脱帽した。
それでいて、歌わせるところは存分に歌わせる。
マーラーの音楽は、暴力的であるとともに、心が蕩けるように甘美である。
その辺の呼吸がよくわかっていることは当然としても、実際にそのようにオケをドライブすることは並大抵ではない。
この指揮者、バイロイトに招聘されるだけのことはある。
誤解を恐れずに言えば、日本人指揮者として、小澤以上の実力を持った指揮者だろうと私は思う。

それにしても
つくばコンサートとしてはいつものことなのだが、この入りの悪さ。
約1000人のキャパシティだが、半分ぐらいだろうか。
以前、サイモン・ラトルのコンサートに半分ぐらいしか入らず、実行委員会としてもショックを受けたらしいが、一向に変わっていない。
逆にいうと、今日のような優れたコンサートを500人足らずの人間のみが聴いたというのは、ある意味贅沢の極みだろう。
今年8月のつくばエキスプレス開通で、東京からの客が増えることを望みたい。
事実、水戸芸術館のコンサートは東京からの聴衆が多いおかげで、ほぼ満席になる。
チケットが入手しやすいのはいいのだが、あまりにもガラガラなだと、演奏者に対して申し訳ない気がするのだ。
今日の入りに対して、全く手を抜かず、全力で指揮してくれた大植と、破綻無く見事なアンサンブルを聴かせてくれた大阪POに感謝。

最後に笑い話(?)をひとつ
このコンサートが楽しみだったせいか、先日変な夢を見た。
東京芸術大学のオーケストラが、我が町でコンサートをするというのだが、ド素人である私に指揮を依頼してきた。
曲目を尋ねてみるとマーラーの6番だという。
「俺にできるかなあ」と困惑している私。できるわけないじゃないか。

筑波山


冬の間さぼっていた登山を再開した。
まずは一番手ごろな筑波山。
筑波山には、メジャーな登山コースは2つある。
筑波山神社からケーブルカーに沿って行くルートと、つつじが丘の駐車場からロープウェイに沿って行くルート。
筑波山神社コースは標高差600m弱あるが、つつじが丘コースは、出発地の標高約520mだから、標高差350m強に過ぎない。
今日は後者のルート。

探鳥を兼ねて、というより「ついでBW」だから、カメラと双眼鏡だけの軽装でスタートした。
8:20 駐車場を出発。
この時期だから花は何も無い。
ウグイスがやっとさえずりを始めている。
ヒガラとヤマガラのさえずりを聞きながら女体山山頂(876m)に到着。
登り1時間5分。

汗ばむような陽気。
期待した眺望は霞みがかかってしまい、全くなし。
ここからの眺望はやはり冬に限る。
新宿や幕張の高層ビル群、富士山はいうに及ばず、条件さえ揃えば北アルプス(これは男体山山頂からでないと無理だが)さえ望める。

ひとしきり下界の眺望を楽しんだのち、男体山と女体山の鞍部に当たる、御幸ヶ原に行く。
超望遠を構えたバーダーと鳥の話をする。
ハギマシコが50羽程度いた。
習志野からよく通ってくるという。
私は地元の割りにここの鳥事情に疎い。
他県の人に教えてもらった。
バードウォッチングは、こういう出会いも楽しい。

眺望がきかないので今日は男体山はパスし、男体山を一周する自然研究路を一回りする。約45分。
北側はさすがにまだ雪が残っていた。

11:30 女体山に戻り、下山。
下り50分。
大汗をかいてしまった。もう少し薄着でよかった。

ところでこのコース、私が使っている昭文社の登山地図には、登り100分、下り80分とあるがちょっとかかりすぎではないか。
私は特に早い方ではない。
今日の登りでは、5人を抜いて、7人に抜かれた。(勿論競争ではない)
登山では、あくまで目安だが標高差300mを1時間というのが普通だから、少し過剰である。

写真は女体山山頂からの眺望

筑波山


日付:2005.3.21(月)
場所:茨城県筑波山
8:30~12:30
コゲラ(C)
ヒヨドリ
ウグイス(S)
エナガ
ヒガラ
ヤマガラ
シジュウカラ
ホオジロ
アオジ(C)
ハギマシコ(50羽位)
スズメ
カケス(C)
ハシボソガラス
ハシブトガラス
以上14種
春になって、登山を再開した。といっても手ごろな筑波山。
今日はついでのBWで、あまり真剣に見ていないので種類は少ない。
ハギマシコの群れに出会えたのはラッキーだった。
千葉から撮影に来ていた人と親しく話ができて楽しかった。
私は地元のくせに意外と筑波山の鳥には詳しくないので、他県の人に教えていただく始末。

登山道の途中で、ヒガラとヤマガラのさえずりを聞くことができた。
ウグイスはやっと本格的なさえずりが聞けたが、まだ本調子ではない感じ。

写真はハギマシコの群れ。
写真の中に43羽写っているから、50羽ぐらいはいたものと思われる。

全日空 B777―300ER JA731Aスター・アライアンス塗装


全日空(NH)
ボーイング B777―300ER
レジ番号 JA731A
エンジン GE GE90―115B(間違えてました。ご指摘がありましたので訂正します)
撮影日  2005.3.14
撮影場所 成田空港16エンド

スター・アライアンス塗装
スター・アライアンスは、世界16社による航空連合で、全日空も加盟している。

牛久自然観察の森


日付:2005.3.20(日)
場所:茨城県牛久市牛久自然観察の森
定例探鳥会 9:30~12:00
カワウ(2)F
ノスリ(2)      かなり高かった
コジュケイ(S)    盛んに鳴く
カワセミ(♂)
キジバト
コゲラ
ヒバリ
ハクセキレイ
ヒヨドリ
ジョウビタキ(♂♀)
ルリビタキ(♂若)    一見♀に見える個体
アカハラ
シロハラ
ツグミ
ウグイス(C)      囀らない
エナガ
シジュウカラ
メジロ(C)
カシラダカ
アオジ
カワラヒワ
シメ
スズメ
ムクドリ
カケス(C)
ハシボソガラス
ハシブトガラス
以上27種
開始前にホオジロ

定例探鳥会
多くの参加者があった。
ルリビタキは、雨覆いにかすかに青色を認めたので、♂と判断した。第1回又は第2回冬羽と思われる。
ノスリがかなり上空を旋回していたが、2羽同時に現れたのは珍しい。
ミソサザイの報告があったが、探鳥会では見られなかった。

写真はニワトコの新芽。

シュンラン


春を告げる野の花。
シュンランは、地方によってはなぜか「ジジババ」などど言われる。

エア・パシフィック B767-300ER DQ―FJC


エア・パシフィック(FJ) フィジー
ボーイング B767-300ER
レジ番号 DQ―FJC
エンジン GE CF6
撮影日  2005.3.14
撮影場所 成田空港16エンド

エア・パシフィックは、以前B747のカラフルな塗装で知られたが、最近767に替わって塗装もやや地味になった。

池原義郎の建築

池原義郎は私の好きな建築家。
洗練された、精緻なディテールを特徴とする。
「ディテールに神が宿る」と言ったのは、ルイス・カーンだったか。
その言葉を体現したかのような建築家である。

洗練されたディテールと言っても、槇 文彦、谷口吉生、安藤忠雄とはやや違う。
槇のディテールは、都会的でオシャレで金のかかったディテールだ。
誰かが「旦那芸」と言った。「お上手ですね」というディテールである。
谷口はストイックでシンプルだが手間のかかったディテールだ。
彼はプロポーションを最も重要視する。
谷口の建築が醸し出す独特の雰囲気は、計算されつくしたプロポーションによるものである。
プロポーションを大事にする建築家でも、安藤の場合は骨太で意思の強さを感じさせるディテールである。

池原のディテールは、そのどれとも違う、一種独特の華やかさを持ったものだ。
「装飾」と言ってしまえばそれまでだが、ちょっとニュアンスが違う。

■一番好きなのは、石川県の浅蔵五十吉美術館。
竣工翌年に訪れたが、そのあまりにも完璧なディテールと、凛とした佇まいに圧倒されてしまった。
私と同様、壁や建具の納まり、天井のディテールなど、しげしげと眺めている人が数人いた。
隣に九谷焼でできた記念碑があって、一般の観光客はそちらの方に興味があるようだった。
■酒田市美術館
これも、池原建築の集大成のような建築。
池原らしいディテールがところせましとちりばめられている。
正直見とれてしまった。
展示物が完全に負けてしまっている。
建築がここまでやってよいのか、とまで思わせる。
■所沢の掬水亭
池原は正三角形が好きである。正方形を好む磯崎 新と好対照か。
幾何学的形態操作の極地のような建築。
■日本学園体育館
体育館というのは、ともすればおざなりなデザインになりがちだが、池原がやるとこうなってしまう。

ところが
ガレリアかめおか、熊谷文化総合館あたりから、作風が変わってきた。
ガラスを多用した透明感や、大胆な構造表現を重視するようになった。
時代の趨勢かも知れないし、それらの建築は相変わらず美しい。
でも、往年の息を呑むような美しいディテールが影をひそめてしまったのはとても残念だ。

■富山市のサンシップとやま。
内部空間を見ると透明感にあふれ、とても美しい。
でも、ガラスの箱の上に、船のような3角形の構造物を角度を振って乗せた造形の意味が全くわからない。
行った人はわかるはずだが、あの場所はロケーションが非常に悪い。
狭い裏通りである上に、電線が無神経に張り巡らされていて、建築が全く映えないのである。
あの場所性を考えると、余計あの造形がわからなくなる。

■茨城県下館市のアルテリオ
長大なガラスのブリッジが架けられている。
張弦梁とサスペンション構造の混合であることはわかる。
でも、どうやって持っているのか理解を超えた構造だ。
恐ろしく複雑な計算と、高度な施工が要求された。
細い鉄骨で吊られているが、横方向の力にどう耐えるのかがわからない。
床の剛性だけで持つのだろうか。
このブリッジはとても美しいが、他の部分がなおざりにされている気がしてならない。
階段まわりのディテールなど、往年の池原には考えられないような粗雑な部分がある。

建築家の変化というのは観察していて楽しいこともあるが、変化しないということもまた魅力。
勿論、マンネリとは違う。
谷口吉生の場合、1979年の「資生堂アートハウス」と最近の「法隆寺宝物館」が全く変わらないのは驚嘆すべき創造性だとつくづく思う。

ハシビロガモ


ハシビロガモ(♂)
カモ目カモ科
撮影日 :2005.3.19
撮影場所:茨城県土浦市乙戸沼

ここは、毎年多くのハシビロガモが見られる場所。

バン


バン(成鳥)
ツル目クイナ科
撮影日 :2005.3.19
撮影場所:茨城県土浦市乙戸沼

茨城県土浦市乙戸沼

日付:2005.3.19(土)
場所:茨城県土浦市乙戸沼
カワウ
コハクチョウ
カルガモ
コガモ
ヨシガモ
オカヨシガモ
ヒドリガモ
オナガガモ
ハシビロガモ
バン
オオバン
コゲラ(C)
ハクセキレイ
セグロセキレイ
ビンズイ
ヒヨドリ
ツグミ
エナガ
シジュウカラ
アオジ(C)
オオジュリン
スズメ
ハシボソガラス
ハシブトガラス
以上24種
天気はよかったのに、すごい西風が吹いていて早々に切り上げた。
この場所としては異常に少ない出現。
カモ類はだいぶ少なくなって来た。

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