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初秋の王仁塚の桜

王仁塚の桜
撮影 2017.9.9 山梨県韮崎市

国道20号線を走っていると、「→武田八幡宮」の標識が目に入った。
武田八幡宮と言えば、近くには王仁塚の桜があるはずだと思いついた。




王仁塚(わにづか)の桜は、樹齢約300年のエドヒガン。
日本の桜の中で、フォトジェニックな桜を5本ぐらい選ぶとすれば必ず入って来る桜だ。
樹形の良さもさることながら、八ヶ岳を背景に咲くロケーションの良さは他にないものである。
ただ、花の時期でない時、桜というのは意外に地味だと思う。

実は撮影に制約が多い桜である。
よりによってこの桜の隣に送電線の鉄塔が立っていることと、周囲が農地であるため、撮影場所が限られることである。
花の時期、1箇所を除いて立ち入りは制限される。
背景の八ヶ岳との位置関係、鉄塔と送電線が写らない位置を考えると、ベストポイントは限られる。




それがこの場所からの写真。(八ヶ岳には雲がかかってしまっている)
ここに三脚を立てるためには、熾烈な場所取りが必要となる。
自分はそういうことは苦手なので、この桜の撮影は最早あきらめていた。
ただ三脚を立てず、高性能のコンデジで手持ちという手もあるかも知れない。(今回の撮影もコンデジによる)




少し近寄って見る。
八ヶ岳を入れるには工夫がいるが、アングルとしてはいいと思う。
ここに三脚を立てるとカメラマンの罵声を浴びる可能性があるので、観光客気分でコンデジで撮るといいかも知れない。




違う角度からのカットも悪くない。
撮り方次第ではあり得るだろう。
残雪の八ヶ岳が朝日を浴びた状況を想像して見る。

初秋の神代桜



山高神代桜
撮影 2017.9.9 山梨県北杜市(旧武川村)

近くまで行ったので、日本最古の桜に挨拶して来た。

花の時期以外に行ったことはないので、葉をつけている様子は初めて見た。
この木の特徴なのだろうか、桜にしては小さな葉である。

来月には葉を落とし、長い冬を越すとまた樹冠が花で覆われる。その営みを2000回ほど繰り返して来た。
その樹幹は、木というよりさながら巨大な岩のようだ。

西蔵王牧場の大山桜(山形県山形市)








西蔵王牧場の大山桜
山形県山形市
撮影 2017.5.5

飛島での鳥見のあと道の駅象潟で車中泊とし、5日は最上川沿いに綺麗な風景を探しながら山形市まで戻って来た。
今年の桜撮影の最後に、西蔵王牧場の大山桜を撮影する。

これは大きなヤマザクラが1本あるという意味ではない。
東北地方に多く自生しているヤマザクラの一種で、ヤマザクラよりも葉や花が大きいことからオオヤマザクラと言われるが、別名ベニヤマザクラ、エゾヤマザクラとも言う。
標高600mほどの広い牧場の中にオオヤマザクラが点在していて、中には樹齢100年を超えるものもある。
標高差があるため、全体が一度に見頃になることはないが、この日は多くの桜がいい状態で咲いていた。


これで今年の桜紀行を終わります。
長々と見ていただき、ありがとうございました。
今年見た桜は92本(箇所)で、そのうち81本(箇所)を掲載しました。
うち17本は再訪です。
今年の4月は天候不順が続き、天気、咲き具合ともいい条件で撮影できたのは20本ほどでした。
桜撮影の難しさを実感します。

注連寺の七五三掛桜(山形県鶴岡市)

注連寺の七五三掛桜
山形県鶴岡市
撮影 2017.5.2









酒田に向かう途中、今回はチャンスと思って注連寺に行って見たが、まだ見頃ではなかった。
寺の公式HPによると4月24日には開花したらしいのだが、開花から8日経ってもこの状態だ。
この4日後、5月6日に満開になったようなので、帰り(5日)に寄ればよかったかも知れない。

湯殿山注連寺は825年、弘法大師が開いたとされる。
「注連」とは注連縄(しめなわ)のことで、開祖である弘法大師が桜に注連縄を掛けたという言い伝えによる。
注連縄の締め方は、中途に7本、5本、3本の縄を通して下げる七五三掛(しめかけ)で、このことから、注連縄は「七五三縄」とも書く。
注連寺は出羽三山の参道の入口に当たり、この参道が「七五三掛口」と呼ばれたのはこのことに由来する。

かつて注連寺から先は女人禁制であったため、ここは女人の参詣所として大いに賑わったが、明治以降は次第に廃れてしまった。
1951年に作家の森敦が注連寺に滞在した。そのころの注連寺は破れ寺の様相だった。
森敦はそれから20年後に、ここを舞台にした小説「月山」を発表し、当時最年長で芥川賞を受賞して話題になった。







注連寺の建物は、羽黒山神社にも通じる豪雪地帯ならではの建築で、柱梁とも非常に太く、豪快なものである。
屋根に積もった雪が片側だけ落ちると、荷重のバランスが崩れて反対側に傾いてしまう。それを防ぐために斜めの支柱で支えているのが豪雪の凄まじさを感じさせる。このことは小説「月山」の中で、寺の「じさま」が語っている。




注連寺前から見た風景。
整った形のオオヤマザクラが残雪の山に映える。


次回は今年の最終回、西蔵王牧場の大山桜

興禅寺のシダレザクラ(長野県木曽町)






興禅寺のシダレザクラ
長野県木曽町
撮影 2017.4.23

鎌倉時代、木曽家12代目木曽信道がこの地に城を築き、興禅寺を復旧して木曽義仲の菩提寺とした。
この時の武者踊りが「木曽踊り」の発祥と考えられている。
その後民衆に伝わり盆踊りとして続いていくことになる。
民謡「木曽節」は、意外に新しく大正年間に「木曽踊り」から発展したものらしい。

本堂前のシダレザクラは木曽義仲お手植えの2代目と言われている。
初代の桜は火災で焼けてしまい、現在の桜は樹齢100年ほど。
高さはあまりないが、横に大きく枝を広げた樹形の桜だ。

これで今回の桜旅は終了。
次回から山形の桜を2箇所だけ紹介する。


次回は注連寺の七五三掛桜

玉林院天神山のシダレザクラ(長野県上松町)





玉林院天神山のシダレザクラ
長野県上松町
撮影 2017.4.23

木曽家16代目、木曽義元(1475~1504)の次男「玉林」が創建したと伝えられている。
臨済宗妙心寺派のお寺。
天神山のシダレザクラとして知られているのは、寺の裏山にある樹齢300年の桜である。
今年は例年になく遅い開花だったようで、おかげでベストの状態で撮影できた。
この桜は小高い丘の上にあるため、遠望しても絵になるが、うっかり撮影し損ねた。


次回は興禅寺のシダレザクラ

常勝寺のシダレザクラ(長野県大桑村)




常勝寺のシダレザクラ
長野県大桑村
撮影 2017.4.23

須原宿は中山道39番目の宿場で、妻籠宿の3つ手前になる。
須原宿にある常勝寺は、興禅寺、長福寺とともに木曽三大寺に数えられ、木曽路の中でも最古刹である。
もとは木曽川畔にあったが、洪水により3度に渡って流され、1598年に現在の位置に再建された。
三門、本堂、庫裏が国の重要文化財に指定されている。


次回は玉林院天神山のシダレザクラ

木曽路の風景

撮影 2017.4.23

4月は天候不順で、雨や曇天での桜撮影が多かった。
この日はその鬱憤を一気に晴らすように、夜明けから日没まで快晴。一年に何日もないような絶好の天気だった。
午後になっても残雪のアルプスがクリアーに見える。こんなことは滅多にない。






桜とハナモモ

阿智村や南木曽町など、特に木曽路ではこの時期ハナモモが花盛りになる。
ハナモモは花を観賞する目的で品種改良されたモモで、花色は赤、白、ピンクと鮮やかである。
木曽川に架かる吊橋「桃介橋」のたもとにある天白公園から




桃介橋

福澤桃介は旧姓岩崎。福澤諭吉の婿養子となり、福澤姓を名乗る。
投機で財を成し、後に電力事業を手掛け、電力王と呼ばれた。
桃介橋は福澤桃介によって架けられた木造の吊橋で、1922年に完成した。
一時は老朽化のため使われなくなったが、1993年に復元された。
国の重要文化財に指定されている。




道の駅大桑から

遠景に残雪の中央アルプスが見える




須原宿附近

国道19号線は木曽川に沿って走る。
川の対岸に須原発電所があるあたり。
山の斜面を彩る桜と、青いワーレントラスの橋と、中央アルプスと。







道の駅三岳附近から
王滝川と中央アルプス







道の駅日吉木曽駒高原附近
駒ヶ根から見ることが多い中央アルプスだが、反対側から見るとこんな風に見える。


次回は常勝寺のシダレザクラ

光徳寺のシダレザクラ(長野県南木曽町)

光徳寺のシダレザクラ
長野県南木曽町
撮影 2017.4.23

妻籠宿は中山道69次のうち、江戸から数えて42番目の宿場町で、木曽路随一の観光地である。
全国で初めて古い街並みを保存した宿場町として「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。
全長約500mの街並みは、江戸時代の面影を非常によく残している。

妻籠宿の中心部には、道を直角に曲げた桝形が残っている。
これは外敵の侵入を防ぐための仕掛けで、城下町にはよく見られる遺構だ。
妻籠宿が城塞の役割も担っていたことがわかる。

光徳寺は、桝形から石段を昇った一段高い所に石垣を築き、白壁を巡らしている。
桝形と合わせて見ると、城郭のような趣を醸し出している。










樹齢250年と伝えられる門前のシダレザクラはちょっと悲しい姿になってしまったが、妻籠の町並みを見下ろすように佇んでいる。







妻籠宿内にある別の桜も町並みに溶け込んで美しい。


次回は番外編

吾妻のシダレザクラ(長野県南木曽町)



吾妻のシダレザクラ(仮称)
長野県南木曽町
撮影 2017.4.23

旧清内路村の最後は清南寺の夫婦桜だったが、遠目にも葉桜だったので撮影せず、次の目的地妻籠宿に向かう。
その途中の国道沿い、斜面に咲く3本のシダレザクラが目に止まった。
妻籠宿の1.2kmほど手前である。


次回は光徳寺のシダレザクラ

黒船桜(長野県阿智村)





黒船桜
長野県阿智村
撮影 2017.4.23

国道256号線を北上し、今度は右に曲がって急坂を下る。
ペリー来航時に植えられたとされる桜で、そのことから通称黒船桜と呼ばれている。
枝ぶり、樹勢とも申し分なく、圧倒的存在感を誇る桜だ。
木曽路で隋一の1本と言えるだろう。

国道側から見下ろしていると、遠くからアカショウビンの声が聞こえて来た。そんな環境にある。


次回は吾妻のシダレザクラ(仮称)

説教所の大桜(長野県阿智村)




説教所の大桜
長野県阿智村
撮影 2017.4.23

2006年から9年にかけて、阿智村、浪合村、清内路村が合併した。
合併後も阿智村のままであるところが面白い。
変な合成地名を付けないところ、命名に当たって妙な駆け引きがないところが潔いと思う。

さて旧清内路村である。
国道256号線を北上し、旧清内路村の中心部で右に行く狭い急坂を登った先にその桜はあった。
「説教所」というのがよくわからないが、その建物の周囲に数本の桜があり、中でもひときわ存在感を誇る1本である。
上部は落雷で破損したとされるが、樹勢は衰えていない。
嘉永6年というから1853年に移植されたと案内板には書いてあった。
その時から数えて164年ということになる。
その年はペリー来航の年であり、次回の黒船桜とも関係がありそうだ。


次回は黒船桜

市ノ沢の彼岸桜(長野県阿智村)

市ノ沢の彼岸桜
長野県阿智村
撮影 2017.4.23

この桜は数年前に探したのだが、その時は場所がわからなかった。
今回は事前にリサーチしておいたので迷うことはなかったが、なかなかの難物だった。

前回の弘法様から昼神温泉の方に向かう。
国道153号線、いわゆる三州街道を西に1.2kmほど。
右手に中央道が走り、その向こうには山が迫っている。
国道と中央道との間のわずかな平地に通っている旧道に入り、市ノ沢集会所の先で右折し、中央道の下をくぐって向こう側に出ると狭い林道がある。
400mほど進むと林道沿いの斜面に目指す桜はある。
車が停められそうなスペースはあるが、ここでUターンできるような道幅ではない。
少し先まで行くと、路上に枯れ枝や落ち葉が堆積し、日常的に車が通っているような形跡はなく、この先通れるかどうかは怪しい。
危険なので、いくらか広いスペースを見つけてUターンした。













素晴らしいロケーションの中にその桜はある。
国道153号線はハナモモ街道とも呼ばれ、この時期赤やピンクの花で彩られている。
苦労して行った価値がある光景ではあったが、この程度の距離ならば歩いて行ってもよかった。




黒丸が目的の桜
赤線がそのルートで、点線の先は行かない方がいい。
下に停めて歩いても400mほどだ。


次回は説教所の大桜

弘法様の紅枝垂桜(長野県阿智村)



弘法様の紅枝垂桜
長野県阿智村
撮影 2017.4.23

この「南無阿弥陀仏」と彫られた碑は弘法大師の真筆と伝えられ、地元では「弘法様」と呼ばれて親しまれている。
弘法様の紅枝垂桜はさほど大きな木ではないが、赤味が強く、整った樹形が特徴である。


次回は市ノ沢の彼岸桜

栗矢八幡社のシダレザクラ(長野県阿智村)


栗矢八幡社のシダレザクラ
長野県阿智村
撮影 2017.4.23

下條村から北上し、鶯巣川(うぐすがわ)を渡ると阿智村だ。
鶯巣川は天竜川の支流である。
飯田線には鶯巣という駅があるが、こことはかなり離れていて関係はなさそうだ。
ちなみに宮崎県には「鶯巣」と書いて「おうさ」と読む地名がある。

さて阿智村に入って1.2kmほど。左手に形のいいシダレザクラがあった。
栗谷八幡社という神社である。
栗矢八幡社では、毎年秋に感謝祭「栗矢の無礼講」と呼ばれる感謝祭が行われる。
2007年に住民と昼神温泉郷の旅館経営者でつくる実行委員会が始めたもので、多彩な催しを約1ヶ月に渡って連夜開く。
そのスタイルを京都の石清水八幡宮が取り入れて催事を開く動きもあると言う。


次回は弘法様の紅枝垂桜

手塚原家のエドヒガン(長野県下條村)



手塚原家のエドヒガン
長野県下條村
撮影 2017.4.23

ウェブ上にある「手塚原家のエドヒガン」というのがこの桜であるかどうかはわからないが、場所的にはこれだと思う。
斜面に咲く、非常に背の高い桜である。


次回は栗矢八幡社のシダレザクラ

陽皐のシダレザクラ(長野県下條村)




陽皐(ひさわ)のシダレザクラ(仮称)
長野県下條村
撮影 2017.4.23

下條村は、明治22年に睦沢村と陽皐村が合併して誕生した。
「陽皐」というのは読みにくい地名だが、「皐」という字は5月の旧名である「皐月」で使われている。
「皐」は象形文字で、意外なことに白骨化した動物の頭と胴体を表していると言う。そこから「白く輝く水辺」という意味になった。(諸説あり)
5月を「皐月」というのは、「早苗の月」が変化したという説もある。
皐月にはまだ早いが、その美しい風景によく似合う地名である。
なだらかな斜面に農地が広がり、民家が点在する。
偶然目についた桜は、民家の裏手にある墓地の桜だった。
樹齢などはわからないが、眼下に広がる絶景を見下ろすように佇んでいた。


次回は手塚原家のエドヒガン

龍嶽寺のエドヒガン(長野県下條村)




龍嶽寺のエドヒガン
長野県下條村
撮影 2017.4.23

下條村の名は、室町時代初期に甲斐の国からこの地に入り、室町中期から戦国期に全盛を極めた下條氏に由来する。
下條氏は甲斐源氏小笠原氏の分流であると言う。
龍嶽寺は、吉岡城主であった下條時氏が、1535年に先祖の菩提を弔うために開いた臨済宗妙心寺派の寺で、伊那地方の名刹である。


次回は陽皐(ひさわ)のシダレザクラ(仮称)

桜基公園の桜(長野県泰阜村)



桜基公園の桜
長野県泰阜村
撮影 2017.4.23

この日は、南信から木曽路を北上する予定なので、駒ヶ根から一気に泰阜村(やすおかむら)まで南下する。
泰阜村は飯田の南にあるが、村内に国道が通じておらず、なかなか行く機会がないところだ。
自分としても行った記憶がなく、今回が初めての訪問となる。
ちなみに村内には信号機が一箇所もないそうだ。

桜基公園と言うが、「公園」というイメージからは遠く、うっかり通り過ぎてしまった。
推定樹齢250年とされるエドヒガンは、期間中ライトアップも行われる。


次回は龍嶽寺のエドヒガン

馬見塚公園の桜(長野県駒ヶ根市)



馬見塚公園の桜
長野県駒ヶ根市
撮影 2017.4.23

馬見塚公園は、駒ヶ根市の中心部から3kmほど南下した場所にある。
池の周囲のソメイヨシノの並木、ミツバツツジを点景とした落ち着いた佇まいも魅力だが、朝日を浴びた中央アルプスが池に映る光景は駒ヶ根ならではのものだ。

このあと駒ヶ根のスイセンを撮影し、南下する。


次回は桜基公園の桜

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