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旧開智学校(長野県松本市)

旧開智学校
撮影 2020.7.25
長野県松本市

旧開智学校は1876年に建てられた擬洋風建築の校舎で、2019年、近代の学校建築としては初めて国宝に指定された。
同じく国宝の松本城から500mほど北にある。徒歩で2つの国宝めぐりが出来る。
1993年に訪問したことがあり、27年ぶりの再会となった。

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正面全景


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基壇とコーナー部分に、鼠色の漆喰を用いて石積みのように見せているが、木造である。


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正面車寄せ
龍の彫刻、瑞雲の彫刻の上に、2人の天使が校名板を掲げている。
屋上には8角の望楼が突出する。


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教室内部


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廊下
洋灯の吊り元も、請った意匠になっている。
天井も和紙を5枚ほど重ねているため、非常に綺麗である。


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階段の意匠


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ドアの透かし彫り
ケヤキ風の木目は本物ではなく、書いたものである。遊び心も読み取れる。

建築を担当した地元の棟梁立石清重は、東京や横浜で最新の建築を見学したうえで、自らのもつ和風建築の技術と融合させ、独創的な建築を生み出した。
この建物は、和風の意匠のなかに洋風を取り入れた擬洋風建築の代表的なもので、明治初期に流行したこの種の建築のなかでも完成度の高いものであるといえる

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

竹内農場西洋館

竹内農場西洋館
茨城県龍ヶ崎市

竹内明太郎(たけうちめいたろう)は、1860年、現在の高知県宿毛市で、宿毛山内家の家臣だった竹内綱の長男として生まれた。
竹内綱は鉱山開発などを手掛けた実業家で、政治家としては板垣退助の自由党に入党し、自由民権運動に参加する。
板垣退助が岐阜で暴漢に襲われた時、彼を抱きかかえたのは竹内だった。
この事件で東京から退去を命ぜられた竹内は、親交があった実業家吉田健三の家に身を寄せることになった。
綱の五男、茂は吉田家に養子に出され、のちの総理大臣吉田茂となる。
つまり、明太郎は吉田茂の実兄ということになる。
明太郎は26歳から父の事業の経営に加わり、多忙な父に代わって実質的な経営者となった。
その後、コマツ製作所や、日産自動車の前身である快進社を創立したり、早稲田大学理工学部の創設にも尽力した。

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1912年、現在の茨城県龍ヶ崎市長山の官有林を、竹内綱と事業家の土田謙吉(現在のつくば市出身)が共同で購入し、そこに明太郎が竹内農場を開設した。
煉瓦造りの西洋館は、今からちょうど100年前に明太郎の別荘として建てられたものである。
別荘として使われていたのは4年ほどで、その後は別の人が管理をしていた。
1950年ごろからは使われておらず、屋根は朽ち果て廃墟となっていた。
2014年、西洋館の隣接地に太陽光発電所が開設され、西洋館の敷地も太陽光発電会社の所有となった。
解体の危機にさらされた西洋館だったが、急遽龍ヶ崎市が所有者から土地を借り上げ、保存のための調査が行われることになり、とりあえず解体は免れた。


建物は煉瓦造2階建てで、屋根は木造だったが現在は存在しない。
煉瓦には「上敷免製」という刻印があり、渋沢栄一が埼玉県深谷に創設した「日本煉瓦製造株式会社」製であることがわかった。
東京駅と同じ煉瓦だということになる。

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積み方はイギリス積みだが、コーナー部分の積み方にヴァリアーションがあり、オランダ積みという積み方なのかも知れない。

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軒先には、デンティルと呼ばれる装飾

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開口部には、扁平アーチが用いられているが、その上部に補強のためのアーチが仕込んである

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屋根を支えてた木材が朽ち果てたまま残っている

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

藤村記念館-旧睦沢学校(山梨県甲府市)

藤村記念館(旧睦沢学校)
山梨県甲府市
撮影 2019.6.9

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旧睦沢学校は、1875年に当時の睦沢村に建てられた。
当時の山梨県令、藤村紫朗が推進した「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風学校建築の代表作とされる。
この時代、山梨県と、隣接する長野県、静岡県を中心に、同様の擬洋風学校建築が建てられ、現在もいくつか残っているが、究極は昨年国宝に指定された松本の開智学校だろう。

旧睦沢学校は1957年まで学校として使われ、その後は公民館として1961年まで使用された。
老朽化のため解体寸前だったが、保存委員会の尽力によって武田神社境内に移築され、藤村記念館(ふじむらきねんかん)となった。
現在は甲府駅前に再移築され、交流施設として使われている。
明治時代の擬洋風建築の特徴を残すものとして、1967年、国の重要文化財に指定された。


テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

藤村記念館(長野県小諸市)

藤村記念館
長野県小諸市(懐古園内)
1958年
設計:谷口吉郎
撮影 2019.12.22

作家島崎藤村は、27歳から6年間、英語教師として小諸で過ごしており、この間に執筆された作品を中心に展示している。
設計は谷口吉郎。
中山道の馬籠塾にも「藤村記念館」があり、そちらも谷口吉郎が設計している。

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谷口吉郎の作品としては、秩父セメント第2工場の2年後、ホテルオークラ東京メインロビーの4年前である。
シンプルな切妻屋根の日本建築だが、プロポーションの良さはさすがである。

余談になるが、甲府の駅前にも「藤村記念館」がある。こちらは「ふじむらきねんかん」で、島崎藤村とは関係ない。
ついでなので、別記事で紹介したい。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

ペイネ美術館(レーモンドの夏の家)

ペイネ美術館(レーモンドの夏の家)
長野県軽井沢町
撮影 2019.12.21

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アントニン・レーモンド(1888~1976)は、チェコ出身の建築家で、帝国ホテル建設の際に、設計を担当したフランク・ロイド・ライトとともに来日した。
レーモンドはその後も日本に留まり、その作品を通して日本のモダニズム建築に大きな影響を与えた。

1933年、軽井沢に建てられた「夏の家」は、西洋のモダニズム建築と日本の伝統的木造建築を融合した傑作として知られている。
一時は解体の危機にあったが、関係者の尽力で1986年、南ヶ丘から現在の塩沢湖畔に移築され、「ペイネ美術館」として開館した。
現在は「軽井沢タリアセン」の園内にある。

美術館であるため、雨戸をわすかにスリット状に開けて自然光を最小限取り入れている。
外壁は、当初はもっと地味な色だった。
一部2階建てで、2階にはスロープが通じている。2階はレーモンドのアトリエとして使われていた。
内部は撮影禁止のため載せられないが、その見事な空間構成は一見の価値がある。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

旧中込学校(長野県佐久市)

旧中込学校
長野県佐久市
撮影 2019.12.21

旧中込学校は明治8年(1875年)に完成した擬洋風の学校建築である。
明治の初め、各地に擬洋風の学校建築が建てられたが、これは現存する最古級のものである。
設計は、アメリカで西洋建築を学んだ地元出身の市川代治郎という棟梁で、そのため長野県、山梨県などにいくつか存在する擬洋風の学校建築の中でも、特にアメリカの影響が強く現れている。
日本人の手による、明治初期の木造洋風建築の様式を知る重要な建物として、国の重要文化財に指定されている。

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南北軸の中廊下形式というのが少々変わっている。
正面玄関の上部にはバルコニーを備え、中央には八角形の望楼を持つ。望楼の天井には太鼓を吊るして時を告げたため、いつしか「太鼓楼」と呼ばれるようになった。(太鼓楼の見学は不可)

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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

旧松井田町役場庁舎(白井晟一設計)

旧松井田町役場庁舎
1956年
設計:白井晟一
撮影 2019.11.25 群馬県安中市

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白井晟一の代表作のひとつ。
これが建てられた当初は、地方の町にしては余りにも立派な庁舎であったことから「畑のパルテノン」などと呼ばれた。
町村合併で安中市の一部となってから、資料館として使われていたが、耐震性の不足により、現在は内部に立ち入ることは出来ない。
廃墟状態ではあるが、とりあえず解体は免れている。何とか保存してほしいものだが。

前回訪れた時は雨だったので、今回再訪した。
遠景に浅間山と妙義山を望む、絶妙の風景の中に佇んでいる。
その存在感はさすがである。

モノクロで表現したのは、廃墟感の表現でもあるが、赤いコーンを消したかった。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

京都四條南座



南座
撮影 2018.12.2 京都市

南座は、正式名称を「京都四條南座」と言う。四条通りの南に位置することに由来する。
江戸時代から同一の場所で営業を続けて来たという意味で、日本最古の劇場とされる。
現在は松竹が運営している。

今の建物は1929年に建て替えられたもので、近代建築に桃山風の意匠を取り込んだ独特のものである。
国の登録有形文化財となっている。

1991年に大改修が行われたが、その後耐震基準を満たしていないことが判明、今回再度の大改修を行い、11月にオープンした。

今回の設計施工は、大林組によって行われている。

東京の近代建築巡り



国立劇場(1966年)
千代田区隼町

竹中工務店の岩本博行によるコンペ当選案で、正倉院の校倉造りをモチーフにしている。
隼町という地名はあまり馴染みがない。通常は「三宅坂」とよく言われている。
この附近は起伏に富んでいて、皇居のお濠(桜田濠)とはかなりの高低差がある。
国立劇場の前あたりは、冬になるとカモ類が多く集まるのだが、無遠慮なランナーが多いので観察しにくい。




最高裁判所(1974年)
千代田区隼町

岡田新一によるコンペ当選案。
その不必要なまでに威圧的な外観には、私を含め拒否反応を示す人が多い。
国立劇場の隣に鎮座する。




国立国会図書館 本館(1961年)
千代田区永田町

昭和30年代の前川國男の心意気が伝わってくる。
改修もされているし、メンテもいいのだろうが、ため息が出るほど美しいコンクリートである。
最高裁判所と国会議事堂に挟まれた位置にある。




同じ設計者により、1986年に建てられた新館
この時期の前川國男は、大型の打込タイルをよく使うようになった。




パレスサイドビル(1966年)
千代田区一ツ橋

一ツ橋というより竹橋の方が通りが良い。
毎日新聞社の本社ビルである。
林昌二(日建設計)の設計で、日本のオフィスビル建築の代表的傑作とされる。




東京国立近代美術館(1966年)
千代田区北の丸公園

パレスサイドビルとは、清水濠を挟んで反対側に建つ。
谷口吉郎の設計。
2002年に、子息の谷口吉生による増築、改修工事が行われた。

土浦亀城邸




土浦亀城邸
東京都品川区

土浦亀城(つちうらかめき)(1897-1996)は昭和期の建築家。茨城県水戸市生まれで、画家の横山大観は叔父に当る。

1922年、建築家遠藤新とともに、帝国ホテルの設計のため来日していたフランク・ロイド・ライトのもとでドラフトマンとして働く。
翌年、信(のぶ)夫人とともにアメリカに渡り、ライトの事務所でスタッフとなる。
信夫人は思想家吉野作造の長女で、同じく建築家だった。夫婦で建築家というのは、今でこそ珍しくないが、その草分け的存在と言える。
なお、この時期のライト事務所にはリチャード・ノイトラが在籍していた。

帰国後はライトの影響を受けた作風であったが、次第にバウハウススタイルのモダニズム建築に傾斜する。
1935年に竣工した自邸はその代表作で、昭和のモダニズム建築の傑作とされる。
すでに80年以上経過した土浦亀城邸だが、今見ても全く古さを感じさせない。
傾斜のある土地に、2つのホワイトキューブを軸線をずらして配置する。外観から感じるよりも断面は複雑で、そのあたりからはライト的なものも感じとれる。
大きく張り出したバルコニーと、スレンダーな庇の造形は絶妙だ。
東京都の有形文化財に指定されている。


JR目黒駅から徒歩8分ほどの場所だが、所在地は品川区である。
ちなみに目黒駅は品川区にあり、品川駅は港区にある。
周辺は「閑静」とか「瀟洒」というイメージがよく似合う、静かな住宅地である。


土浦亀城(つちうらかめき)という名前が本名なのかどうかは定かでない。
なぜそこが気になるかというと、土浦市には亀城公園(きじょうこうえん)というのがあるため、どうしても「つちうらきじょう」と読みたくなってしまうからだ。
亀城公園は、ここにあった土浦城が、堀に囲まれていた形から亀城と呼ばれたことに由来するが、ここでは関係ない話である。

カトリック新発田教会




カトリック新発田教会
新潟県新発田市
設計:アントニン・レーモンド
1966年竣工

アントニン・レーモンドは1888年、現在のチェコに生まれた建築家。
フランク・ロイド・ライトに師事し、帝国ホテルの設計に際して、師ライトとともに来日。その後日本に留まり、多くのモダニズム建築を残した。
カトリック新発田教会は、レーモンドの作品の中でも代表作とされ、2004年、日本建築家協会より「第5回JIA25年賞、大賞」を受賞した。
この賞は、竣工後25年以上を経た作品に対して与えられる。

小規模ながら、ライトの影響を色濃く残している。
構造はレンガ造と、屋根は丸太を組み合わせたものである。
レンガはいわゆるフランス積みで、しっかりと鉄筋で補強した強固なものである。
窓にはステンドグラスを模した和紙が張られている。これはノエミ夫人によるもの。
ライトの幾何学模様によるステンドグラスと相通じるものがあるようにも思う、味わい深いものである。

なお、当教会は見学に際しては事前予約が必要とのことだ。

黒部川第2発電所(2005年撮影)



黒部川第2発電所
撮影 2005年7月31日

最近、過去の写真を整理中なので、面白い写真が出てきたらその都度取り上げたいと思う。
トロッコ列車でお馴染みの黒部峡谷鉄道の車窓から。


宇奈月から欅平に向かう車中、猫又駅の直前、右側に見える黒部川第2発電所。
1936年、建築家山口文象の設計によって造られた。
山口文象は1902年生まれ。本名は山口瀧蔵だが、後に蚊象と称する。1942年に文象と改名したと記録にあるので、この時期には山口蚊象を名乗っていたことになる。読みはどちらも「ぶんぞう」である。
機能と構造を優れたプロポーションで表現した、モダニズム建築の傑作と言える。

発電所に通じる赤い橋「目黒橋」も山口文象によって設計された。
フィーレンデールの角を丸く取ったデザインが秀逸である。


フィーレンデールの豊海橋については過去記事参照
http://blogs.yahoo.co.jp/papageno620/59665203.html

ちなみに豊海橋は1927年の竣工で、日本初のフィーレンデール橋と言われる。
目黒橋の設計に際しても、豊海橋を参考にしたスケッチが残されている。

建物、橋ともに優れた造形だが、セットで見ると端正な表情を見せるコンクリートの建築とモダンで洒落た橋の対比が面白く、鮮やかな色の組み合わせと相俟って非常に趣のあるデザインとなっている。
自然景観の中に建つ構造物として、お手本のようなものだ。
同じ車窓から見える新柳河原発電所の「中世ヨーロッパのお城のようなロマンティックな外観」などと言う文句には、決して惑わされてはいけない。

ぜひ実際に見たいものだが、猫又駅では降りることが出来ず、一般人が見学するのは無理のようだ。

自由学園明日館




自由学園明日館
1921年竣工
東京都豊島区西池袋

自由学園明日館は、帝国ホテル設計のために来日したフランク・ロイド・ライトが設計したいくつかの国内作品のうちのひとつである。
中央棟を中心に左右対称に配置し、高さを抑え、水平線を強調した手法は、いわゆる第1期黄金時代に確立したプレイリースタイルの一例と見ることが出来る。
自由学園自体はすでに移転しており、明日館は主として卒業生の事業活動に利用されてきた。
1997年に国の重要文化財に指定。
通常は外観のみ見学可。内部の見学は不定期。

なお、フランク・ロイド・ライトが日本で設計したもののうち、実現したものは6作品であるらしいが、明治村に玄関部分だけ移築されている旧帝国ホテルを除くと、保存状態が良く見学可能なものは、自由学園明日館と旧山邑邸(現ヨドコウ迎賓館-兵庫県芦屋市)の2件である。
旧山邑邸は、しばらく淀川製鋼所の独身寮(何と贅沢な!)として使われていたが、現在は原則として土日祝日と水曜日に見学可能。
旧山邑邸に関しては、阪神大震災の前年(1994年3月)に実見しているので、古い写真があったら、そのうち記事にして見たいと思う。

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