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来迎院多宝塔(茨城県龍ヶ崎市)

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来迎院多宝塔
茨城県龍ヶ崎市

この多宝塔は室町時代後期の建築物で、国の重要文化財。
関東以北では現存する最古の塔と言われている。
屋根は杮葺き、上下層とも唐様の組み物で、特に上層は四手先という凝った造りである。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

大善寺本堂(山梨県勝沼町)

大善寺
山梨県甲州市
撮影 2019.2.24

718年、この地を訪れた僧行基が、夢の中に手に葡萄を持った薬師如来が現れ、その姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが、柏尾山大善寺の始まりとされる。
また、行基は薬園を作り、法薬として葡萄の作り方を村人に教えた。これが甲州葡萄の始まりだと伝えられている。

時代は下って1582年、武田勝頼は織田、徳川連合軍の前に敗退し、岩殿城で再興を図ろうと韮崎から移動中、この大善寺で戦勝祈願を行った。
しかし、家臣の大半が夜半に離散し、岩殿城主の裏切りにも合い、勝頼主従は織田、徳川連合軍に行く手を阻まれ、ついに勝頼主従は自決。甲斐源氏は滅亡した。
その一部始終を記した「理慶尼記」は、武田滅亡記とも呼ばれ、この大善寺に大切に保管されている。

さらに1868年、旧幕府軍と新撰組は、新政府軍に鳥羽・伏見の戦いで敗れ、大坂から江戸へ敗走する。
その後、近藤勇を隊長とする「甲陽鎮撫隊」は、新政府軍の東進を阻止しようと、甲府城を接収する目的で甲州街道を西進する。
しかし、板垣退助率いる新政府軍はわずか1日の差で甲府城に入城。近藤は大善寺に本陣を置こうとしたが、大善寺には徳川家縁の寺宝があるという理由から諦め、大善寺の西側に布陣した。
戦闘はわずか2時間程で終わり、甲陽鎮撫隊は江戸へ敗走した。
「甲州勝沼粕尾坂の戦い」として知られている。

色々な歴史を見てきた大善寺は、西に甲府盆地を見下ろす粕尾山の中腹にあり、中央自動車道からも(フェンス越しにだが)見える。

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三門

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石段の上に楽堂が乗っている、珍しい形態。

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楽堂越しに本堂が見える

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稚児堂

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楽堂と稚児堂
縁日の際などに、楽堂で音楽を奏で、稚児堂で舞を舞って参拝者をもてなした。

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本堂(薬師堂)
24m四方の大きさがあり、檜皮葺きの屋根は流麗な曲線を見せて、簡素なデザインだが力強く美しい。
山梨県内では、2つある国宝建造物のひとつ。

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境内から、甲府盆地を望む

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

坂野家住宅(茨城県常総市)

坂野家住宅
撮影 2020.6.14 茨城県常総市

坂野家はこの地方の惣名主的な存在で、江戸時代中期に飯沼の新田開発で財を成した豪農である。
現在の屋敷の原型はこの時期に形成された。
3000坪に及ぶ広大な台地全体をを敷地とし、表門と塀を巡らしている。

薬医門_R
この表門は、薬医門と呼ばれる形式で、本来は武家屋敷に設けられる格式の高い門である。

外観_R
外観
右側は農家にふさわしく、土間となっていて、左側に主屋がある。

玄関_R
主屋に入る玄関は幕府派遣の役人専用で、家人は使わなかったとされる。
これも、坂野家の格式の高さがうかがえる。

土間_R
土間

内部1_R

内部2_R

内部3_R
主屋の内部

書院_R
「月波楼」と名づけられた書院が増築されている。
この書院はもともと茅葺きだったが、大正時代に現在の形に建替えられた。

書院内部_R
書院内部


坂野家住宅は、主屋と表門が国の重要文化財。現在は「水海道郷土資料館」として公開されている。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

水戸八幡宮(茨城県水戸市)

水戸八幡宮
撮影 2020.6.15 茨城県水戸市

正式には八幡宮。
那珂川の右岸段丘上にあり、日光、久慈方面の眺望が良い。
本殿は国指定重要文化財。
境内には国指定天然記念物のオハツキイチョウがある。また、徳川斉昭公お手植えと伝えられる左近の桜、右近の桜でも知られている。

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拝殿

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拝殿(左)と本殿(右)

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本殿(重要文化財)

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オハツキイチョウは樹齢700年~800年。
樹高は42mに及ぶ

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

石堂寺(千葉県南房総市)

石堂寺
千葉県南房総市
撮影 2020.1.4

石堂寺は天台宗の寺院で、1300年という歴史がある、南房総最古のお寺である。
創建当時は石塔寺(せきとうじ)という名前だった。 水晶でつくられた宝塔が納められていることに由来する。
室町時代末期に、足利頼氏を養育した縁に因み、頼氏の幼名「石堂丸(いしどうまる)」から、「石堂寺」と改称された。

多くの文化財があるが、建造物では本堂、多宝塔、薬師堂が国の重要文化財に指定されている。


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本堂

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多宝塔
千葉県で唯一の、重文の多宝塔

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薬師堂

境内は房総丘陵の、標高70m前後にあり、眺望が良いが、ここも台風の被害が大きかったようだ。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

前山寺三重塔(長野県上田市)

前山寺三重塔
長野県上田市
撮影 2019.12.22

塩田平は、上田盆地の千曲川左岸に広がる河岸段丘で、鎌倉時代から室町時代にかけての多くの文化財が集まるため、「信州の鎌倉」とも呼ばれる。
以前にも取り上げた安楽寺や大宝寺の他、中禅寺、常楽寺、前山寺などの寺院が点在する。
前山寺は真言宗智山派の寺院で、正式には「ぜんさんじ」と言う。

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前山寺三重塔は国の重要文化財。
長野県には、国宝の三重塔2塔、重要文化財の三重塔3塔があるが、そのうち4塔がこの地域にある。

前山寺三重塔は均整の取れた美しい塔だが、よく見ると2層、3層に高欄がない。
高欄を取り付けるためと思われる胴貫が四方に突き出ているため、高欄を途中で取りやめたのではないかと見られている。そのため「未完成の塔」とも呼ばれるが、仏塔はそもそも人が中に入るものではなく、高欄は必要ないとも言える。
結果的に美しい調和を見せているため、「未完成の完成の塔」とも呼ばれている。
いずれにしても名塔であることは間違いない。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

小諸城址(懐古園)

小諸城址(懐古園)
長野県小諸市
撮影 2019.12.22

日本100名城のひとつに選ばれている小諸城は、日本で唯一、城下町よりも本丸が低い場所にある「穴城」である。
現在は「懐古園」として整備されており、桜の名所としても有名である。

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小諸城の正門に当たる大手門は、懐古園から小諸駅を超えた市街地にある。
本丸から数えて4番目の門なので、「四の門」とも言う。
国の重要文化財


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懐古園入り口に当たる「三の門」
鉄砲狭間が設けられた、戦闘的な建物でもある。
国の重要文化財


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城内に残る石垣


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南端、「水の手展望台」から千曲川を見下ろす。小諸駅附近から見ると想像できない地形だ。


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高さ方向を強調すると、こんな地形になっている。
左端が市街地(大手門附近)。千曲川とは100mあまりの高低差がある。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

曹源寺さざえ堂(群馬県太田市)

曹源寺さざえ堂
群馬県太田市

1187年、新田義重公が京都からの養姫である祥寿姫の菩提を弔うために建てた六角堂が起源とされる。本堂は火災により焼失してしまったため、観音堂だった「さざえ堂」を本堂としている。

正面_R

側面_R

「さざえ堂」は、間口、奥行きともに9間(約16.4m)で、高さは16.8m。外見は2層に見えるが内部は3層になっている。
堂内は上りと下りが別々の回廊になっていて、同じところを2度通らずに元のところに戻れる構造となっている。
回廊内には秩父三十四箇所、阪東三十三箇所、西国三十三箇所、計百箇所の礼所にちなんだ百体観音像が安置されていて、一回りすると百箇所の観音霊場に参拝することが出来るという仕掛けになっている。
一般にこのような形式のものを「さざえ堂」と言い、江戸時代に各地に建てられた。
現在、全国に6箇所のさざえ堂が残っていて、そのうち会津若松市の円通三匝堂、埼玉県本庄市の成身院百体観音堂とともに、「日本三堂」と称している。
曹源寺さざえ堂は現存するさざえ堂の中で最大で、2018年、国の重要文化財に指定された。

その他のさざえ堂としては
 蘭庭院(青森県弘前市)
 長禅寺三世堂(茨城県取手市)
 西新井大師三匝堂(東京都足立区)
が知られている。


現存する6つのさざえ堂の中で、二重螺旋構造を持つ会津のさざえ堂が最もユニークなものである。
曹源寺のさざえ堂は、二重螺旋ではなく、上り下りの階段が別々になっているもので、構造的には特に難しいものではない。
会津のさざえ堂こそ、本来の「さざえ堂」と言うにふさわしい。

階段1_R
1階
右が上り
左が下り

2層_R
2階
右側に帰りのルート

2層3_R
3階

階段2_R
右は3階に行く階段
左は1階に下りる階段

アイソメ_R
模式的に書いて見るとこうなる。(実際はもっと複雑)
黄色が上り、青色が下りの階段

・・・・・・

比較のために、茨城県取手市の長禅寺三世堂を撮影して来た。
規模はやや小さいが、曹源寺のさざえ堂と同様の形式と思われる。
残念ながら内部に入ることは出来なかった。


会津のさざえ堂は何度か見ているが、手元に写真がないので、今度行くことがあったら改めて記事にしたいと思う。

テーマ : 建築
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那須神社(栃木県大田原市)

那須神社
栃木県大田原市

那須神社は仁徳天皇(313~399年)時代の創立で、さらに延暦年間(782~806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にしたと伝えられている。
現在の本殿、拝殿、楼門は、1641~42年に黒羽城主大関高増によって建立された。

本殿及び楼門は国の重要文化財に指定されている。

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本殿

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楼門は典型的な禅宗様式で造られている。
これの見どころは、上層、下層とも斗栱に通し肘木を用いていることと、特に上層の尾垂木付きの四手先斗栱が珍しい。

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拝殿
拝殿の前にある石灯籠一対も国の重要文化財
高さは2.9mで、芦野石と考えられている

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芦野石で出来た手水舟も国の重要文化財

テーマ : 建築
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内外大神宮(茨城県筑西市)

内外大神宮(ないげだいじんぐう)
茨城県筑西市

伝承によると、継体天皇年間(530年ごろ?)に創建され、社伝によれば806年に社殿が造営された。
当時は周辺59ヶ村を氏子として、大いに栄えたと言う。

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向かって右に内宮(ないくう)、左に外宮(げくう)
両本殿は、御門とともに国の重要文化財に指定されている。

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裏側から
左が内宮

内宮は天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀り、外宮は豊受大神(とようけのおおみかみ)を祀る。
正統的な神明造茅葺き(現在は保護のため銅版葺き)で、外宮は内宮よりも少し小さく造られている。

伊勢神宮では内宮と外宮は別々のところにある。普通はそういう形式だが、ここでは2棟が並んでいる。
建築年代は1679年で、地元の大工によって建てられた。
内宮と外宮を2棟並立させる形式としては、現存する最古のものである。


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御遷宮(ごせんぐう)
本殿の建替えや修理時に、御神体を一時遷すための仮宮である。
1574年の建立であることがわかっており、室町時代の様式を伝える建築として貴重である。
現在は覆屋で保護されている。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

旧中村家住宅(長野県大町市)

旧中村家住宅
長野県大町市

今は合併して大町市美麻になっているが、もとは美麻村青具だった。
現在の地図に青具という地名は載っておらず、交差点名に残っている。ちなみに読みは「あおぐ」ではなく「あおく」
旧中村家住宅は、その青具交差点のすぐ近くに建つ江戸時代の農家住宅で、母屋と土蔵が国の重要文化財に指定されている。

母屋は1698年に建築されたもので、建築年代がわかっているものとしては、長野県で最も古い。
1780年に建築された土蔵も古いもので、貴重である。

住宅
母屋は間口14間、奥行き6間、床面積84坪に及ぶ。当時の民家としては破格の規模で、武士を迎える部屋などもあり、裕福な農家であったことがわかる。


土蔵1
土蔵2
土蔵3

土蔵は間口6間、奥行き4間で、簡素ながら優れた意匠である。
茅葺屋根の軒を深く張り出し、外側に1間間隔で支柱を建てて、屋根の荷重を支えている。多雪地域で、軒を深くするための工夫と思われるが、そのシンプルな美しさは機能美というものを超えている。


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敷地内(?)にある十王堂。
庚申信仰の名残が伺える。


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隣に建つ廃屋は、元郵便局だったと思われる。
この地域の中心地だったのだろう。

少し先には、道の駅「ぽかぽかランド美麻」があり、大町から長野に抜けるルートでもあるので、青具の交差点は通る人も多いだろう。
交差点に直接面していないので、見落としがちな建物である。自分も今まで気が付かなかった。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

水澤寺六角二重塔(群馬県渋川市)

水澤寺六角二重塔
群馬県渋川市

水澤寺は天台宗の寺院で、坂東三十三観音霊場の第十六番札所。通称「水沢観音」とも呼ばれている。
榛名山の寄生火山である水沢山の山麓、標高600mほどの場所にある。
伊香保の温泉街から4kmほどの距離にあり、多くの参拝者で賑わう。

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本堂脇にある六角二重塔は、県指定の重要文化財。

二重塔という名称自体、非常に珍しい。
寺院建築用語では、初重が方形、上重が円形の二重の塔を多宝塔あるいは大塔と呼ぶが、天台系では、初重、上重とも方形の二重塔を単に「二重塔」と呼ぶことがあるようだが、ここにある二重塔はそれらの形式とは異なった、珍しい構造となっている。
初重には、中心軸の廻りに回転する仕掛けの上に六地蔵を安置し、参拝者はこれを左回りに3回回すことによってご利益を得られるとされている。
上重には大日如来が安置されている。

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左に本堂

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参道にこんなおみくじの販売機(?)があった。
お金を入れると獅子がおみくじを引いてくれるという仕掛け。
外観は極めてレトロで、ハイテクなのかローテクなのかよくわからない、不思議な雰囲気だ。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

瑞龍寺(富山県高岡市)

瑞龍寺
撮影 2019.8.3
富山県高岡市

瑞龍寺は曹洞宗の寺院で、加賀藩3代藩主、前田利常が開基した。
近世禅宗様建築の特徴を示すものとして、3棟が国宝に指定されている。富山県で唯一の国宝である。

総門、山門、仏殿、法堂が一直線に配置されていて、仏殿を中心に、四周に回廊が巡る独特な伽藍配置は、中国の寺院の影響を受けているようだ。
回廊には、大庫裏と禅堂が附属している。
山門、仏殿、法堂の3棟が国宝に、総門、回廊、禅堂、大庫裏が重要文化財に指定されている。

1総門1
入口から総門を見る

2総門から
総門から
奥に見えるのは、回廊に附属した大庫裏

3総門(反対側)
総門をくぐり、山門側から総門を見る

4山門と伽藍
総門をくぐると目に飛び込んでくる風景。
綺麗に整えられた玉砂利が清清しい。

5山門
山門

6山門(総門側)
山門をくぐり、回廊側から山門を見る

7山門(回廊内)
四周に巡る回廊と山門の調和が絶妙である。
刈り込まれた芝生の表情も美しい。仏教寺院に芝生は珍しいようにも思う。

8仏殿
伽藍の中心に位置する仏殿

9仏殿内部
仏殿内部は土間になっていて、屋根の構造もよくわかる

10山門と法堂
山門の奥に法堂が建つ。

11法堂内部
法堂内部

12回廊内部
回廊の内部

13禅堂
禅堂は回廊の一部になっている

14大庫裏
禅堂の反対側には大庫裏
大庫裏の先に見える小さな建物は鐘楼

15山門と禅堂
仏殿前から見る
左に山門、奥に禅堂

16山門と大庫裏
右に山門、奥に大庫裏
見事な伽藍配置もさることながら、見苦しいものが一切なく、静謐で気持ちのよい空間となっている。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

清白寺仏殿(山梨県山梨市)


清白寺仏殿
山梨県山梨市

代表的な禅宗様式の建築をもうひとつ。

清白寺は、足利尊氏の創建とされている。
仏殿は1415年の建立。入母屋造、檜皮葺の方三間裳階付きの形式で、大規模な仏殿に用いられる意匠をそのまま小型化した建築であると言われている。

比較的反りの大きな軒なども含め、禅宗の様式をよく残している。
山梨県内に2つある国宝建造物のひとつである。


清白寺には、国の重要文化財に指定されている庫裏(右奥に見える)など、他にも面白い建物があるのだが、カードの書き込みエラーがあったようで、写真が残っていなかった。次回この方面に行くことがあればもう一度訪問したい。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

宝珠院観音堂(千葉県印西市)




宝珠院観音堂
千葉県印西市

飛鳥時代に中国から伝わった建築様式は、その後日本的に変化し、平安時代以降「和様」と呼ばれるようになる。

平安時代後期になると、再び中国の建築様式が入って来る。
東大寺大仏殿の建築に際して使われたことから「大仏様」と呼ぶ。

禅宗が盛んになると、禅僧の往来が活発になり、中国の建築様式が禅寺の仏堂に多く用いられるようになった。これを「禅宗様」あるいは「唐様」と呼ぶ。

実際の建築では、「禅宗様」と「和様」の、双方の特徴を取り入れた折衷様の建物も多く見られる。
日本の建築は、中国の影響を受けつつも、それを巧みに日本的に変化させながら発展して来た。

この素朴な観音堂も、禅宗様の典型的な様式で建てられていながら、見事に日本建築になっているところが見どころだろう。
日本建築、ひいては日本人の知恵というものがよく表れているように感じられる。
小さいながら名建築と言えるだろう。
これは国の重要文化財に指定されている。


日本と中国は、昔から文化的に密接な関係にある。第一、文字にしてから中国由来なのだから。
「元号」が中国の古典から採られて来たことの意味をよく考えて見よう。
「日本の元号だから国書から」というのは、極めて近視眼的な発想だ。(ここでは関係ない話だった)

芝山仁王尊(観音教寺)

芝山仁王尊(観音教寺)
撮影 2019.3.10 千葉県芝山町

観音教寺は、比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺院である。
780年、平城京が雷による大火で多くの寺院が焼失したため、諸国に命じて新たに仏寺を建立したのが始まりであると伝えられている。
825年、慈覚大師円仁の中興以降、大いに栄えたが、その後秀吉の小田原攻めの影響を受け、全山が灰燼に帰した。
やがて江戸時代に入ると、徳川幕府の庇護の下に火事泥棒除け、厄除けの仁王尊として信仰を集めるようになった。



仁王門は明治初期に建てられた。
お堂形式の壮大な建築である。




本堂は、江戸中期の建築。
隣に「芝山はにわ博物館」を併設している。







三重塔は高さ約25m。
千葉県指定有形文化財。

五角堂(茨城県つくば市)





五角堂
茨城県つくば市
撮影 2019.2.23

江戸時代、飯塚伊賀七という人が設計した正五角形平面の建物である。
なぜこのような建物を設計したのかはわかっていないが、難しいとされる五角形平面にあえて挑戦したものだろうか。

五角形の1辺は、2間半というのが正しければ約4.55mである。現地の案内板に5.54mとあるのは間違いの可能性がある。
1辺4.55mであれば、面積は35.6㎡になる。
柱は108°と72°の菱形断面で、5本の梁は中央の柱に重ねられているらしい。


五角形平面と言っても、長方形の角をカットした五角形平面ならばいくらでもあるだろうが、正五角形平面の建築となるとさすがに珍しい。
正五角形平面の建築物としては、アメリカの国防総省「ペンタゴン」が有名。
日本では「軽井沢大賀ホール」が、建物全体としては五角形ではないものの、正五角形平面のホールで知られている。

法華経寺(千葉県市川市)

法華経寺
撮影 2019.3.2 千葉県市川市

法華経寺は日蓮宗の大本山で、創立は1260年という古刹である。
中山法華経寺とも呼ばれている。
市川の人口密集地にあり、近くには中山競馬場もあるため、この周辺は渋滞の名所である。
法華経寺周辺は道も狭く、入り組んでいるので、まず駐車場までたどり着くのが大変だ。
車で行くと裏から入ってしまうが、正面は京成中山駅前から参道が続いている。
駅前から、ゆるやかな坂を上って行く。なかなか雰囲気の良い門前町である。



■総門(市指定有形文化財)
別名黒門。
高麗門という形式で、江戸中期も建築と見られている。軽快な印象がある門である。




■仁王門
別名赤門。「正中山」の扁額は本阿弥光悦の筆による。
本阿弥光悦は、刀剣鑑定家の家に生まれたが、後に書家、絵師として活躍する。
フィクションだが、吉川栄治の「宮本武蔵」に、吉岡一門との決闘を終えた武蔵と対面する形で登場する。






■祖師堂(国指定重要文化財)
比翼入母屋造りという珍しい形式で、同様のものは岡山県の吉備津神社本殿(国宝)のみである。






■五重塔(国指定重要文化財)
前田家の寄進により、江戸時代初期に建てられた。
高さは約30mで、上野の旧寛永寺五重塔と同程度だが、軒の出が少ないのでよりスリムに見える。




■法華堂(国指定重要文化財)
祖師堂の裏側、小高い位置に建つ。
14世紀に建てられたとされ、日蓮宗の仏堂としては最古に属する。




■四足門(国指定重要文化財)
法華堂の前に建つ小規模な門である。
四足門は四脚門とも言い、屋根を支える柱を前後それぞれ2本の柱で支える形式。
もと鎌倉の愛染堂にあったものを移したとも伝えられている。

2012年の記事から-鑁阿寺





鑁阿寺
栃木県足利市
撮影 2012.1.28

鑁阿寺(ばんなじ)
難しい漢字です。
「鑁阿」とは、創設者である足利氏二代目の足利義兼の法名とされていますが、本来は大日如来のことだそうです。
寺の始まりは、足利義兼が1196年、邸内に持仏堂を建てて大日如来を祭ったのが始まりと言われています。
その後、三代目の足利義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
四周に土塁と堀を巡らしている造りは、単なる寺院ではなく、鎌倉時代の武家屋敷跡であることを今に伝えています。

本堂
国指定重要文化財
鎌倉時代後期

鐘楼
国指定重要文化財
鎌倉時代後期
桁行3間、梁間2間、入母屋、瓦葺で、1層目の袴腰がとても優美な曲線を描いているのが目を惹きます。
鎌倉時代の建築様式が見られる貴重な建物とされています。

太鼓橋と山門
江戸時代
門は4方向にありますが、これが正面。
堀と土塁を見ると城郭のようで、お寺としては独特の雰囲気です。
太鼓橋は総欅造りで、唐破風の屋根がついています。
屋根付きの橋は珍しく、栃木県内では唯一とされています。

多宝塔と大銀杏
多宝塔は、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が造営したもので、多宝塔としてはかなり大きなものです。
樹齢550年と言われる大銀杏。やっぱりこれは秋に撮影したいものです。

2012年の記事から-足利学校(栃木県足利市)






「日本最古の学校」と言われる足利学校の創建については、諸説あります。
奈良時代の国学の遺制であるという説
平安時代初期、小野篁(おののたかむら)説
鎌倉時代初期、鑁阿寺を開いた足利義兼)説
室町時代中期、関東管領上杉憲実説
など
いずれにしても、室町時代中期には存在していた学校ということが言えます。
1549年には、フランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名なる坂東の大学」と、海外にまで伝えられました。

1921年、足利学校跡は孔子廟、学枚門などの建物を含め国指定史跡となりました。
1990年、方丈や庭園の復元が完了し、江戸時代中期の姿に甦りました。

正面入り口に当たる、入徳門

足利学校ののシンボルとも言える、学校門

学校門から正面に当たる、孔子廟

方丈
学校の本館と言える建物で、1990年に再建されたもの

方丈の奥に位置する書院から見る
北庭園は亀を模したもの
遠景に孔子廟が見える

日本最古の学校として、世界遺産を目指しているようで、最近、各地でそういうスローガンが目立ちます。
富士山と鎌倉は正式に登録を目指すようですが、富士山と鎌倉はすでに一大観光地であり、今更世界遺産を目指すメリットはないように個人的には思います。
特に鎌倉は今でも大混雑しますから、これ以上観光客が増加するのはかえって逆効果の面もあるかと。
世界遺産登録で俗化した白川郷にがっかりした経験があるので。

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papageno620

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