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犀川大橋(石川県金沢市)

犀川大橋
撮影 2019.8.3 石川県金沢市

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金沢の中心部は、浅野川と犀川に挟まれているため、犀川に架かる橋は江戸時代から交通の要衝だった。
現在の橋は、1924年に架けられた曲弦ワーレントラス橋で、長さは約60m、幅は22mほどある。
鉄が不足していた時代なので、とにかく軽量化が図られていることがよくわかる。

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犀川大橋は、この時代の代表的な鋼製の橋として、2000年に国の登録有形文化財に指定された。
橋は、青緑系の4色(5色?)のグラデーションで塗装されていて、美しい表情を見せている。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

里川に架かる木橋




八幡橋
茨城県常陸太田市

里川は久慈川の支流である。
このあたりには、まだ木の橋が多く残っていて、この橋の下流にも新落合橋という木橋があり、映画の撮影などに使われているようだ。

洪水時には水面の下になる。いわゆる沈下橋である。
このあたりでは「地獄橋」という言い方もある。

橋脚、橋桁、床版、流木除けとも全て木製の橋である。
地元では抜け道のように使われていて、意外に交通量が多い。

白金桟道橋(東京都品川区)





白金桟道橋
東京都品川区

JR目黒駅の北200mほどの位置にある、山手線と埼京線を跨ぐ人道橋である。
土浦亀城邸に向かう途中、偶然に見つけた橋で、この橋の存在は今まで知らなかった。
ラーメン橋とアーチ橋を組み合わせたような面白い橋で、一見して古レールを構造材に用いていることがわかる。
軽やかで美しい造形だ。

あとで調べて見ると、1926年の竣工で、古レールを利用した現存する数少ない橋である。
昔は鉄が高価だったので、古いレールを構造材に利用してケースが多くあり、駅の跨線橋やホームの上屋などにも見られる。
この時期の構造物は、鉄の使用量を減らすために、トラスやラチスを多く用いるなど、工夫のあとが見られるのが面白い。

ちなみに1991年のテレビドラマ「東京ラブストーリー」の中でこの橋が登場したと言う記事がウェブ上に多くあった。偶然見つけたのだが、ある意味有名な橋だったようだ。

最上川に架かる橋





撮影 2017.5.5 山形県大石田町

大石田町を貫流する最上川。
右岸の大石田地区と左岸の横山地区を結ぶのが大橋だ。

初代の木橋は1901年(明治34年)に架けられたとされる。
現在の大橋は2代目で、1930年(昭和5年)に渡り初めが行われた。今年で87年になる。
完成を祝って開かれた花火大会が戦中戦後の一時期を除き現在まで続いている。大石田まつり「最上川花火大会」がそれだ。

大橋は鉄製で、長さ145.8m。
上弦が緩やかにカーブを描く造形が特徴的である。

大橋は大石田に滞在した歌人斎藤茂吉が横山へ散歩に行くコースの一部だった。
斎藤茂吉は戦後の一時期、大石田の知人宅の離れに滞在した。野鳥の声が聞こえるというところから「聴禽書屋(ちょうきんしょおく)」と命名した。
「聴禽書屋」はここからほど近い場所に現在でも残っていて、茂吉の歌碑「蛍火を一つ見いでて目守りしが いざ帰りなむ老の臥所に」もある。

周辺には塀蔵を模した修景護岸や再現された最上川舟運の舟役所跡大門があり、昔ながらの景観を残している。

中央本線 旧立場川橋梁

長野県富士見町
撮影 2012.4.15

以前のブログに載せた「磐越西線一ノ戸川橋梁」と同じく、ボルチモアトラスの鉄橋である。
一ノ戸川橋梁は現役だが、こちらは付け替えにより、すでに廃線になっている。



アメリカン・ブリッジ社製、200フィート。
廃線なので、すでに赤錆び状態である。



向う側に見えるプレストレスト・コンクリート橋が、現在の立場川橋梁。


旧立場川橋梁は、現在は富士見町の所有になっている。
文化財登録も検討されたようだが、メンテナンス費用の点から棚上げになっている模様。
交通量は少ないながら、下を一般道路が通っているので、そのうち解体されてしまうかも知れない。




こちらは現役の一ノ戸川橋梁。
http://blogs.yahoo.co.jp/papageno620/59568923.html

同じくアメリカン・ブリッジ社製、200フィートの橋で、一見して同じものだとわかる。
この上を通るSLの姿は、鉄道マニアにはお馴染みの被写体である。

めがね橋


めがね橋
千葉県白浜町

明治22年に完成した、洋式の石造アーチ橋。
3連というところが珍しいし、3連なのにもかかわらず「めがね橋」という命名も変わっている。

ネット上では「日本の名橋100選」に選ばれている、という記述があるが、それは長崎のめがね橋のことだと思う。
ネット上には、間違った情報が安易にコピペされて流布していることが日常茶飯事なので、情報が信用できるかどうかの判断は自己責任ということかと。。。


私がこの橋に注目したのは、石造のアーチ橋は特に九州地方に多く、関東では珍しいと思われたから。

聖橋とお茶の水橋



聖橋

震災復興事業の一環として、1927年に完成した。
聖橋の名は、「湯島”聖”堂」と「日本ハリストス正教会復活大”聖”堂(ニコライ堂)」を結んでいることに由来すると言われる。
設計は建築家山田守。
山田守の作品で、一般によく知られているのは、日本武道館と京都タワーだと思うが、この橋は多くの人々に親しまれている。

お茶の水橋から見る。
神田川は人工の川だが、東京でもこれだけの渓谷美を誇る場所はない。
右はJRの御茶ノ水駅。
聖橋の向こうに、地下鉄丸の内線が姿を現す。
ここではごく近い範囲で総武線、中央線、丸の内線の線路が3段になっている。
ポイントをうまく狙えば、3本の電車を1枚の写真に収めることも可能。
なお、この地下には千代田線が走っている。千代田線は丸の内線よりも新しく、深いところを走っているので、神田川はそのまま地下で越えている。
地下鉄丸の内線は面白い路線で、この場所の他に茗荷谷駅と後楽園駅の周辺でも地上を走っているし、四ツ谷駅では駅の部分だけ地上に出る。




お茶の水橋

隣の聖橋が余りに美しいので、非常に損をしている感じの橋。
いかにも実用一点張りの印象だが、構造的には面白い橋である。
ラーメン橋の一例としてよく紹介される橋。意外に鉄骨のラーメン橋というのは少ない。
しかし、この橋は橋脚の外側(両岸側)が片持ちになっていて、それに橋桁が乗る形になっていて、ラーメン橋とゲルバー桁の組み合わせという珍しい構造になっている。
「ラーメン」というのは、ドイツ語で「架構」を表わし、柱と梁(この場合は橋脚と橋桁)が剛接合になっている構造を言う。
建築ではごく一般的な用語。
地味に見えてしまうのは、思うに色がよくないのだと思う。自然の中なら赤が映えると思うが、こういう場所だから白がいいのではないか。

バックに、ノーマン・フォスターの日本での最初の作品「センチュリータワー」が聳えているのが、個人的には好みの風景。

不動沢橋


不動沢橋
福島県福島市

磐梯吾妻スカイラインの名所「つばくろ谷」に架かる橋。
橋長170m
谷底からの高さは84mある。
現在の橋は2代目で、1996年に架け替えられた。
旧橋の跡地が駐車場になっていて、新橋を見ることが出来る。

上路式ローゼ橋。
アーチと補剛桁の両方で支える形式をローゼ橋と言う。
ここから見るつばくろ谷の紅葉は有名である。

箱根登山鉄道 早川橋梁

箱根登山鉄道 早川橋梁(塔ノ沢-大平台駅間)

6/18
仕事で小田原に行くことになった。
この日の夜は、プライベートで川崎に行くことになっていたが、ちょうど日程が噛み合ったのだ。
午前中はフリーになったので、箱根に足を伸ばしてみることにした。
と言っても、時間が限られているので、箱根登山鉄道と早雲山までのケーブルカーの往復が限界だった。
ただ、咲き始めたアジサイを車窓から眺めながら行くのもなかなか楽しかった。

関東育ちなので、箱根はお馴染みなのだが、実はこの電車に乗ったのは初めてなのである。
前回、小田原から入生田までを往復しただけである。


箱根登山鉄道は、箱根湯元で乗り換え、強羅までの急勾配を登る日本有数の登山鉄道である。
3度のスイッチバックがあるのが最大の特徴で、つまり発車した時と到着した時は向きが反対になっていることになる。



塔ノ沢駅を出てすぐ、早川を渡る。
この鉄橋は、通称「出山の鉄橋」とも呼ばれている。
秋には紅葉の名所になるので、この時期は目が覚めるような青葉が美しい。



橋の上から見る風景。

橋を過ぎると1回目のスイッチバック、大平台駅で2回目のスイッチバック、更にもう一回のスイッチバックを経て強羅に向かう。


橋長は61mのダブルワーレントラスである。
単純な三角形のトラスをワーレントラスと言い、X字型になっているものをダブルワーレントラスと言う。
これは斜材が中央でピン接合になっているので、座屈に対して有利になっている。
単純なワーレントラスがX字型になっただけで、デザイン的に洗練されたものに見えてしまうのが面白い。

実はこの橋は、1888年に東海道線天竜川橋梁として架設された19連の一つを再利用したものである。
1915年に工事開始、2年後に完成した。
この時代、こういう使い回しはよく行われている。

銚子大橋の架け替え

利根川河口に架かる銚子大橋は、1962年に開通した。
当時としては国内有数の長大橋だった。
当初は有料道路だったと思う。
「凄い橋が出来たらしい」と、うちの方でもたくさんの人が見物に行ったらしい。

その橋も老朽化には勝てず、架け替えとなった。
新しい銚子大橋は流行の斜張橋である。
旧橋の老朽化は待ったなしの状態だったと思われ、中央2径間だけが今年の3月から暫定供用されている。
実はこの新橋も両端部分はまだ出来ていない。
中央だけ新しい橋という、なかなか珍しい状態である。






旧橋は撤去工事中で、1スパンが残っている。
旧橋は単純なトラス橋だったが、結構好きな橋だった。
こうなる前に撮影しておきたかった。



別の1スパンは、台船に載せられ、岸壁で解体作業が進んでいる。
これも珍しい光景と言える。

永代橋&豊海橋

■永代橋






永代橋が架けられたのは、元禄時代だそうである。
赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったあと、幕府直轄の両国橋を渡ることができず、南に迂回して永代橋を渡ったという故事も有名。

関東大震災で被災し、清洲橋とともに復興のシンボルとなった。
現存最古のタイドアーチ橋(支点間を引張材でつなぎ、支点に発生する水平反力を負担させる方式)で、スパン100mを越えた日本初の橋である。

<永代橋落橋事件>
文化4年(1807)8月、深川八幡の祭礼が11年ぶりに行われ、多くの人が永代橋を通って深川に向かった。
一橋公が船でこの下を通るために橋は一時通行止めになり、解除後一気に群衆が殺到したため、その重みで橋が崩落した。
一説には死者1500人を越えたと言われる。
蜀山人は「永代のかけたる橋は落ちにけりきょうは祭礼あすは葬礼」と詠んだ。
この惨事を題材にできたのが、落語「永代橋」である。
永代橋から落ちて死んだと思われていた人物が実は生きていた、という内容なのだが、自分の死骸を自分で引き取りに行くという話しは「粗忽長屋」と似ている。
ただし、「太兵衛は武兵衛にかなわない(多勢に無勢はかなわない)」という下げは「粗忽長屋」の秀逸な下げには到底及ばない。


■豊海橋



隅田川に合流する川の最後の橋には、それぞれ独特のデザインが施された。
川を行く船から位置がよくわかるように、という配慮らしい。
中でも日本橋川が合流する地点に架かる豊海橋のデザインは群を抜いている。
隣り合う永代橋との対比も鮮やかで、よく考えられたデザインであると思う。

この形式をフィーレンデールと言う。
トラスが3角形で構成され、接点がピン(回転可能であるということ。実際に回転可能であることは少ない)であるのに対し、4角形で構成され、接点は全て剛である。
この橋は数少ないフィーレンデールの名橋と言ってよい。

黒部峡谷鉄道に乗ったことがある人は、猫又駅附近から見える黒部川第2発電所が記憶に残っているかも知れない。
発電所の右手に架かっている赤い橋が、豊海橋と並ぶフィーレンデールの名橋である。

・・・・・・

名橋とは言えないが、ついでに
一石橋(いちこくばし)



これは日本橋川の上流にあり、有名な日本橋の2本上流の橋である。
もとは「八つ見橋」と言った。
橋の上に立つと、この橋を含めて八つの橋が見えたということに由来する。
歌川広重が名所江戸百景において「八ツ見のはし」として描いている。
これが地震で崩落し、後藤姓の2人の金持ちが費用を出して修復した。
後藤と後藤(五斗と五斗)で一石と洒落た名前である。
これは、落語の「十徳」の中に出てくる挿話。

現在では首都高速の呉服橋ランプに当り、見るかげもない。

磐越西線一ノ戸川橋梁





磐越西線一ノ戸川橋梁


私を含めて、建築ウォッチャーという人は多いのだろうが、橋ウォッチャーというのはどれだけいるのだろうか。
面白い橋は鉄道橋に多いので、鉄道マニアの中には”橋鉄”という分野が、もしかするとあるのかも。
そういう人にはお馴染みの橋かも知れない。

とりあえず、新しい書庫を作ってみた。


そばの里として知られる、福島県山都町にある。
別名「山都の鉄橋」としても有名な橋である。
1910年の建設というから、来年で100年になる。

16支間、445m、高24mで、中間の一支間(7連目)が上路式ボルチモアトラスである。
ボルチモアトラスとは、一般的なトラスの斜材を支える副材が入っているものを言う。
長大橋にはよく使用された形式だが、現在ではこの橋を含めて5本だけ残っているらしい。
このトラスはアメリカンブリッジ社製200フィートのトラスで、ピン接合のディテールに、どことなくアメリカらしさが感じられる。

橋脚は地元産の花崗岩が使われていて、明治の面影を色濃く残している。

なお、磐越西線には「ばんえつ物語号」というSLが休日を中心に運行されており、この橋の上を通るSLは鉄道マニアにとって絶好の被写体になっている。

日本橋




これが有名な日本橋です。
日本橋川にかかる2連のアーチ橋で、花崗岩で造られています。
現在の橋は1911年に架けられたもので、国の重要文化財に指定されています。

日本橋川は小石川(東京ドームの近く)で神田川と分かれ、永代橋のところで隅田川に合流します。
首都高速の都心環状線がすぐ上を通っています。
ここのすぐ下流に江戸橋JCがあり、アクロバット的な道路の重なり具合が見てとれます。

この景観は確かに評判が悪いです。
これを地下化する構想を前首相が打ち出しましたが、5000億円ほどかかるとか。
そんな大金を投じてまでやる価値があるのか、ということは別にして、
この景観こそ東京なのだ、という考え方が建築関係者には多いですね。
私もこの景観が美しいとは思いませんが、単純に首都高速を地下化すれば景観問題が解決するとは思えません。
日本橋を見ることは、都市景観を考えるいい機会であると思いませんか。

猿橋

2006.3.11
山梨県大月市
地図

先日紹介した、忍野の富士山。
そこを流れる新名庄川は、桂川の支流です。
桂川は、大月に至ると深い峡谷になります。
そこに架かるのが、猿橋。


刎ね橋という独特な構造で、日本三奇橋のひとつと言われています。
国の名勝。
造形的にも優れた橋だと思いますね。
ちなみに、この川は下流に至って相模川になります。

下から眺めると


かなりの高さです。

向こう側に変わった橋が見えます。
東京電力、八ツ沢発電所一号水路橋
この少し上流にある駒橋発電所で利用した水を、下流の上野原八ツ沢発電所に導く水路橋です。
鉄筋コンクリートで作られたU型の大きな水路で、上から見ると勢いよく水が流れています。
文化財登録

なお、以前の記事でこの橋の構造を取り上げました。
神橋の構造

神橋の構造


前に紹介した日光の神橋だが、その構造について、文章だけでは表現しにくいので、スケッチを書いてみた。

①単純な橋
十分に長い桁がある場合は、単純に架ければ済む。
これを単純梁という。
両端は固定されておらず、回転が自由である。
構造力学的に書くと、右のようになる。

②刎ね橋
両端を埋め込んでキャンティレバーとし、中央はピン(回転可能)とする構造。

③日光の神橋
上の刎ね橋を発展させて、3本の部材で構成して、両端の部材は石の橋脚で支持している。

④大月(山梨県)の猿橋
これは、キャンティレバーの梁を4段として、細い部材で構成したもの。
神橋と、原理的には同じである。
神橋と猿橋は岩国の錦帯橋とともに、日本三奇橋と呼ばれている。

この例のように、刎ね出しが大きくなる場合に、段を増やすことで対処するのは日本古来の建築によく見られるやり方である。
西洋の場合は、大スパンになるとトラスにして解決するのだが、日本には引張り材を使うという発想がなかったのはなぜだろう。

日光の神橋は、今年だけ一般公開しているので、機会のある方はぜひ見てください。

神橋



仏教では、普陀落山(ふだらくさん)とは観音菩薩が住む山とされる。
フダラクがフタラに転じ、「二荒」の字が当てられ、二荒山神社になった。
更に、「二荒」を「ニコウ」と音読みして「日光」になったというのが定説である。
二荒山とは男体山のことでもある。
というわけで、二荒山神社は日光の象徴になるわけだ。
神橋は二荒山神社に属する。
日光を開山した勝道上人にまつわる橋。
国道119号線が大谷川を渡る左手にあり、日光山内の玄関口である。

さて、日本三奇橋のひとつとされる神橋。
ちなみに、残りの2つは岩国の錦帯橋と大月の猿橋。
どこに特徴があるのだろうか。

この橋は山間部の渓谷にかかる橋として、独特な構造を持っている。
錦帯橋のような、複雑な構造ではない。
わかりやすく言うと、太い橋桁の一方を岩盤に埋め込んで、もう一方を刎ね出し(建築用語で言うキャンティレバー)で支えている。
実際には石の橋脚が橋桁を支えている。
(文章ではうまく説明できないが、見た目よりも面白い構造)

下部構造を下から見られるのは今年限りなので、機会がある方はぜひどうぞ。

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